レルヒ少佐のスキー指導(1911年)

1911年1月12日、レルヒ少佐による高田58連隊のスキー講習が始まった。

当時のスキーは現在とは違い、1本の太い竹の一本杖をストックとして使っていたが、連隊は誰もがスキーの履き方からして判らず、まずは穿き方・脱ぎ方から憶え、それから平地行進と段階的に指導が続いた。
「日本スキー発達史」で著者・小川勝次は当時をこう振り返る(以下、原文のまま抜粋)。

当時私は小学5年生で、この58連隊のすぐ隣屋敷の第一尋常小学校(現在の元町小学校)に通っていた。営庭でのレルヒ少佐の講習会も3日目、4日目になって、専修員がそろそろ平地行進ができるようになると、私達の校庭へもやってきた。身長6尺を越すレルヒ少佐が、緑色のトルコ帽のような帽子をかぶり、太い竹の杖を斜めに構え、雪面を押すように悠々と滑ってくる。実に堂々として立派な姿である。
ところが続く専修員はいずれも小柄で、カーキ色の軍服に巻ゲートルという服装はいかにも小汚い。それにどれも、しどろもどろのよたよた歩きで、歩調がさっぱり合っていない。校庭の土堤を登りきってレルヒ少佐は鮮やかに校庭に滑り込んできた。ジットしていても校庭の真ん中あたりまで滑って自然に止まった。
しかるに続く連中が大変である。まずこの土堤を登る事が容易じゃない。後滑りしてこんな小さな坂で七転八倒の難渋さである。
さらに私達を笑わせたことは、いよいよ土堤を登りきって、いざ降りとなると、すぐ先頭が尻餅をついた。この先頭の尻餅をついた場所に、2番と3番も尻餅をついた。同じ場所で次々と尻餅をつくこの光景がとてもおかしかった。

誰かが「スキー隊がきたぞ」と叫ぶと授業は中止となった。担任の古沢潔先生も私達を叱らなかった。そしてみんな窓際により、異様なスキー隊を眺め、転ぶスキーに大笑いした。時には堀内連隊長がレルヒ少佐のすぐ後に続く事もあった。堀内大佐は5尺1寸あるかないしかという小男だったので、私達もすぐそれと判った。

私達はレルヒ少佐指導するところのこのスキー風景をみて、この光景が日本のスキーの誕生であり、歴史の第一頁である、なんてことはもちろん知らない。ただスキーというものは滅茶苦茶に転ぶものである。、という印象を受けただけであった。


こうして、新潟・高田の地を舞台に、地元の小学生の好奇の目にさらされながら、日本スキーの貴重な第一歩が刻まれたのである。
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by wataridori21 | 2009-07-10 23:19


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