遠藤吉三郎・木原均「最新スキー術」と北海道大学スキー部(1916年)

高田でのスキー競技の発展の一方、北海道でのスキーの発達も大きな発達を見せた。

1916年(大正4年)、北海道大学の遠藤吉三郎教授がヨーロッパ留学の際、ノルディックスキーを学び、その技術とスキー用具の知識を習得して帰国した。彼は特別スキー選手としての実績はなかったが、スキーを大変愛好していた為、日本に戻るとさっそく北大の生徒に指導した。

この時期、北海道ではスキーは1本杖の他に2本杖が取り入れ始めていたが、遠藤教授がノルウェーから持ち帰った2本杖により急速に広まった。さらに靴の締具でも、当時主流だったリリエンフェルト式締具に代わり、フィットフェルト式締具が導入された。
フィットフェルト式とは、1893年にフリッツ・フィットフェルトが開発したバインディング(ブーツを固定する金具、ビンディングともいう)のことで、当時は金具ではなく革ベルトを使用したものだったが、靴幅の調整が可能で、踵が自由に動くため、北大生から熱烈な支持を集めた。

さらに遠藤教授はジャンプ競技の知識も導入した。それまで日本ではジャンプ競技自体が行われなかった事から、本州に先駆けて、札幌や小樽ではジャンプ選手が多数出現。大正4年(1915年)2月には、札幌・丸山でスキー競技会が開催されている。

大正9年(1920年)2月、遠藤教授は教え子である木原均とともに「最新スキー術」を出版した。この本ではスキーの滑降技術を初め、補助器具の知識、登山での注意事項、スキーの歴史、ノルディックスキーとアルペンスキー双方の重要性等を詳しくまとめられており、当時の日本スキー界に大変大きな影響を与えた(ちなみに木原均は、その後「遺伝子技術の権威」として、その世界では神様と崇められる事になる)。
同じ2月、北大主催で小樽・札幌間のスキーでの駅伝競走も行われ、多くの有望選手がそこから育成されていった。

1916年からの遠藤教授の指導により、北海道勢のスキーレベルが大幅に上がった為、大正12年(1923年)に開催された第1回全日本スキー選手権大会で、本州勢に大きく水をあける大躍進につながる事になるのである。
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by wataridori21 | 2009-07-19 06:55


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