第3回全日本スキー選手権大会(1925年)

1925年(大正14年)2月、青森県大鰐で第3回全日本スキー選手権が開催された。

この大会では、それまでの2大会での経験を踏まえて、改定が行われている。距離では1kmが廃止され4km・10km・16km・リレー(16km)、コース1週でスタートとゴールは同一地点。テレマーク・クリスチャニアのスラローム競技は廃止。ジャンプ競技は、それまでの2回飛んで飛距離の多い方を選ぶ方式から、3回飛んでその合計点で競う方式に改められた。

この大会の距離競技で、大きな実績を残したのは早稲田大学で、4kmで1位(高橋昴)・2位(矢沢武雄)、10kmで3位(吉田清、1位は北海道の松田幸義、2位は北海道片桐博)、16kmで1位(中川新)・3位高橋昴、リレーで1位(竹節作太、高橋昴、吉田清、中川新)。
その原因はワックスの使用で、日本のスキー競技でワックスを初めて使用した出来事として記録されている。提供したのは大日本体育協会の近藤茂吉で、彼は北欧選手が常用しているワックスの効果を知る為に、早大選手に試用させてみたのである。リレー競技の時の模様を「日本スキー発達史」で中川新がこう話している。

「大鰐大会の前に私達は得体の知れない10幾種かのワックスを入手していたものの、それを全面的に利用するまでの研究はしていなかった。ある一種のワックスで勇敢にスキーの滑走面を塗りつぶす自信はなかったのである。で幼稚にも私たちは登行にさしかかった際、ポケットからクライミングワックスを取り出して底部に塗り、滑降の際はスキーのエッジで塗り取ることにしたのである。スキーの長さについても走る距離が16mという点を考え、また平地、登行、滑降の三者がそれぞれ三分の一くらいずつの割合であるところから、長さも六尺二、三寸にした。締具もフィットフェルトの上置き耳金にし、スキーの厚みもできるだけ薄くした。そして出発前、精製パラフィンで底面全部を塗り、滑走面に些少のワックスを塗るようにしたのである」

ジャンプ競技では、3回飛んでの合計点となった為、各選手とも転倒を恐れて3回とも距離を抑えて失敗を回避する選手が続出。優勝者は青山肇(北海道・北海道大学)で18.6m,17.4m,18.3m、2位は伴素彦(北海道大学)。第1回大会で優勝した讃岐梅二は1回転倒してしまい7位、大会での最長記録の21.4mを飛んだ中居林も10位。

大会総合優勝は関東地区代表の早大で、朝香宮賜盃とリレーの岸優勝旗を獲得。距離での早大、ジャンプでの北大と、2強時代の到来を全国に知らしめた。
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by wataridori21 | 2009-08-01 07:21


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