大日本スキー連盟の設立と国際スキー連盟(FIS)加盟(1925年)

大正13年秋、大日本体育協会は組織の改革を行っていた。

それまで体協は、様々なスポーツの全国大会を一括して開催・運営してきた。しかしこれからは各スポーツ競技を別々の組織を新たに設立して、それぞれ独立して運営させていきたいという考え方が出来上がってきた。そこで各競技ごとに連盟を作り、体協は主催しない、ということで各競技部の代表者にこの考えを通達していった。

大正13年(1924年)暮れ、翌14年2月に開催される第3回全日本スキー選手権の準備をする為に、青森県大鰐に各地域の代表者が集まった。そこで全国組織のスキー団体の設立の構想を話し合った。メンバーは、体協から稲田昌植・小川勝次、樺太から桜庭留三郎、北海道から加納一郎・広田戸七郎、東北から佐々木新七・吉岡竜太郎、信越から鶴見宜信・神田茂一。

大正14年(1925年)1月、大鰐で再び会議が行われ、2月15日に「大日本スキー連盟」の設立の運びとなった。会長は稲田昌植、常務委員に小川勝次・加納一郎・広田戸七郎。本部は東京、事務所は札幌に設立(札幌の事務所は後に東京に移設)。


スキー連盟の加盟団体は、樺太中央スキー倶楽部・大泊スキー倶楽部・札幌スキー倶楽部・北大スキー部・美唄スキー部・網走スキー倶楽部・小樽スキー倶楽部・小樽高商スキー部・青森スキー倶楽部・弘前高校スキー部・東北帝大スキー部・長岡スキー倶楽部・高田スキー団・妙高スキー倶楽部・飯山スキー協会・草津スキー倶楽部・稲門スキー倶楽部・早大スキー部・東京帝大山岳部・法大スキー部・京大旅行部・六甲スキー倶楽部・蒜山スキー倶楽部の23団体。

そして新たに同年3月、大日本体育協会への加盟となった。この時の加盟団体は、陸上・水泳・蹴球(サッカー)・スキー・庭球(テニス)・漕艇・ホッケーの7団体。スキーは体協加盟の「第1期生」ということになる。

第1回代表者会議は大正14年10月17日、東京・丸の内で開催され、出席者は会長・稲田昌植、常務委員・加納一郎・広田戸七郎・小川勝次、桜庭留三郎(樺太中央)、阿部謹吾(札幌)、黒崎三市(小樽)、高橋次郎(東北帝大)、松木喜之七(長岡)、鶴見宜信(高田)、大林新治(妙高)、藤沢璋三(飯山)、宮崎照治(草津)、中川新(稲門)、柿村敬二(東大)、高橋昴(早大)、長田誠(法大)、光永修一郎(陸軍戸山学校)、伊藤和夫(京大)の19名が出席。

さらに1926年2月、国際スキー連盟(FIS)加盟も実現した。2月2日にフィンランドのヘルシングフォース(現在のヘルシンキ)で行われたFIS会議に日本代表として木原均(当時は京大教授)と今泉剛一(当時は早大を中退してスキー勉強のために同国に滞在中だった。後に北海道スキー連盟会長)が出席し加盟申請をしたところ、すぐに許可が下りた。
ちなみにこの時のFIS加盟メンバーはドイツ・フィンランド・フランス・イタリア・ポーランド・チェコスロバキア・アメリカ・カナダ・ユーゴスラビア・ノルウェー・オーストリア・スウェーデン・スイス・ルーマニア・ハンガリーに日本を加えた16カ国。
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by wataridori21 | 2009-08-04 07:38


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