サンモリッツ五輪(1928年)

昭和3年(1928年)2月、日本は冬季オリンピックに初出場を果たした。

冬季五輪は1924年、フランスのシャモニー・モンブランで開催された第1回大会が始まりで、当時は「冬季国際スポーツ週間」と名のり、後に「第1回冬季オリンピック」と認定し、4年後の1928年にスイスのサンモリッツで第2回大会が開催された。

全日本スキー連盟は1926年、FIS(国際スキー連盟)への加盟が認められた際に、FISから第2回冬季五輪への招待状を受け取った。世界のスキー競技の最高峰の大会だけに、連盟の関係者は意欲的に対応、連盟内に黒崎三市・小川勝次・広田戸七郎・鶴見宜信・吉岡竜太郎・中川新の6人のメンバーからなるオリンピック選考委員会を立ち上げた。選考の結果、派遣メンバーは次の通りとなった。

監督→広田戸七郎
主将→高橋昴
選手→高橋昴(距離)、矢沢武雄(距離)、竹節作太(距離)、伴素彦(ジャンプ)、永田実(距離)、麻生武治(複合)

しかし遠征費が連盟にとって大きな問題であり、五輪代表ということで大日本体育協会に要請したところ体協は「同年夏のアムステルダム五輪の会計で余剰金が出ないと支給できない」と返事が来たので、選手達にも遠征費の一部負担を強いる事となった。さしあたり当時の金額で5千円が必要となり、夏季五輪終了後に体協から3千円が交付され、残りの2千円は早稲田大学の武信由太郎スキー部長に頼み込み、早大から借り入れて対応した。

1928年1月、日本選手団はヨーロッパに飛びイタリアに入国、コルチナ・ダンペッツォで開催する国際学生スキー大会に出場した。五輪出場前に国際大会に慣れる為の出場だったが、これが日本のスキー選手による初めての国際大会への出場となった。
結果は、16km距離で矢沢武雄が4位、竹節作太が6位。滑降で永田が4位、矢沢が6位。回転で永田8位、竹節が9位。予想外の健闘に連盟幹部は喜んだ。

そして日本選手団はスイスに入国、2月11日サンモリッツ五輪が開幕した。

日本選手の活躍が期待されたが、やはり五輪のレベルは高く、外国選手との力の差を見せつけられる結果となった。
距離50kmでヘドルンド(ノルウェー)が4時間52分37秒で1位となり、日本選手では永田が6時間2分42秒で24位、高橋昴が25位、竹節が26位。ちなみに参加選手は30人だった。「日本スキー発達史」では、永田実が大会を振り返って、こう語る。

「初めて世界の一流選手を目のあたり見て、そこに技術の上でわれわれのそれと大して変わったところもなく、われわれのやってきたことは間違っていなかったことを発見し、大いに意を強うした。
しかしワックスの研究は大変なことだと思った。50kmで今まで不敗を誇ったノルウェーがスウェーデンに敗れたのもワックスの失敗によるものであった。しかし北欧三国(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド)の実力は、たとえワックスに失敗しても、決して中欧には負けないであろう。それほど実力に相違がある。
持参した私たちのスキーはサクラ、カバ、イタヤであるが、あちらのスキー材はほとんどアメリカンヒッコリーで、締具はベルゲンダールが多かった」


距離18kmでグロットムスブラテン(ノルウェー)が1時間37分1秒で1位、矢沢が2時間2分29秒で26位、竹節30位、永田31位、高橋36位。

ジャンプ競技でアンデルセン(ノルウェー)が64mを出すなどして1位、伴素彦は転倒して36位(最下位)。当時世界一と評されていたタムス(ノルウェー)は73mを飛んだが転倒して28位となったが、飛形の美しさは大きな話題となった。伴素彦はこう語る。

「私たちのサッツ(踏切り)の悪いことは自覚はしておりましたが、外国選手があれほど強いサッツするとは思いませんでした。私たちと彼らはちょっとした台でも10mの差がすぐ出てしまいます。強く前方に蹴るのが彼らのサッツです。さらに彼らの空中姿勢の美しさ、凄い前項姿勢は実に見事です。前へかかりすぎて転んだとわれわれはよく言いますが、彼らの前項姿勢を見ると、前項がすぎて転倒することはありません。
この技術を獲得するには大きな勇気と長年の熟練とを要する事と思いますが、ノルウェーの少年達の巧いことから考えても、私たちも今までの観念を打ち破って、積極的に強いサッツと、空中の前項姿勢を取ることができるようになれば、大丈夫同じ台で10mは余計に飛べるようになると思います。

羨ましく思ったことは、ノルウェーのジャンプの盛んな事で、日曜日のオスロ郊外は至るところでジャンプをやっております。大人もやっているが、少年達もたくさんやっており、競技も少年達の間ですら盛んでした。これでこそタムスやアンデルセンのような立派な選手も生まれてくると感じました。


五輪終了後、日本選手団はノルウェーのオスロに移り、ホルメンコーレン大会に出場。ノルウェーはノルディックスキー発祥の地であり、当時のスキー技術では同国は世界一と評判だった。現地で選手達は本場のスキーを数多く研究したあと、ロンドン・インドを経由して4月23日に帰国した。
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by wataridori21 | 2009-08-09 07:45


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