「秩父宮殿下高松宮殿下御来道記念大会」(後の宮様スキー大会)の設立(1930年)

1930年(昭和5年)2月、北海道・札幌にて、後の「第1回宮様スキー大会」となる「秩父宮殿下高松宮殿下御来道記念大会」が開催された。

この大会が作られるきっかけとなったのは、昭和3年1月にさかのぼる。青森県大鰐で開催された「第1回全国学生スキー選手権大会」に秩父宮雍仁親王が臨席した。この大会で北海道大学スキー部が、特にジャンプ競技で圧倒的な強さで上位を独占していったのだが、これを目の当たりにした秩父宮親王が、当時の北大スキー部の西野睦夫マネージャーに北海道のスキー環境を尋ね、聞き入った。
これを聞いた北大スキー部長の大野精七は、友人の槇有恒(まきゆうこう、登山家で秩父宮親王の冬季スキーや登山に同行していた人物)を通じて、翌2月に北海道へ招待したい旨を伝えた。大野は大正15年手稲山に日本初の洋式山小屋・パラダイス・ヒュッテを建設しており、昭和2年にはスイス人2人の手でヘルベチュア・ヒュッテが建てられていた事から、ここに秩父宮親王を招きたいと考えたのである。

秩父宮親王は2月21日に札幌入り、22日には北大スキー部によるスキー大会、手稲山に登頂し2つのヒュッテで宿泊、それから札幌や北海道の一連のイベントを観覧。3月1日にニセコの青山温泉へ行き、3日に帰京した。
「宮様スキー大会70年史」(札幌スキー連盟)には秩父宮親王が残した言葉が残されている。

「将来日本で冬季オリンピックを開催するとしたら、山が近い上雪質に恵まれ、しかも大都会で大学もある札幌をおいて他にない。そのためにはオリンピック用のシャンツェが必要だ。良い場所をみつけ、設計をして送ってくれれば、わたしが造れるようお世話しよう。
そうなると洋式ホテルも当然必要になってくる。それに北海道は芝がいいからローンテニスコートを作って、デビスカップを誘致するのもいいじゃないか」

大野氏が定山渓温泉を取り囲む1,000m以上の山々にヒュッテを造り、市民を気軽にスキーツアーを楽しめるよう努力している、と申し上げると、宮様は「それはすばらしいことだ。私もひとつ作ろう。場所を選んで設計してほしい」といわれた。


親王の帰京後、大野は当時ジャンプ台の権威だった広田戸七郎に札幌でのジャンプ建設の話をすると、当時の日本の技術ではまだ不可能だった事から「オリンピック用の大きなジャンプ台を設計する自信はない」と返答だった。
しかし同年11月、全日本スキー連盟の稲田昌植会長、北大スキー部OBの木原均、そして秩父宮親王の3人が話し合い、帝国ホテル会長・大倉喜七郎にジャンプ台建設の依頼をした。大倉は快諾し、ジャンプ台の専門家を外国から招聘する事となった。そしてノルウェースキー連盟のヘルセット中尉の来日に繋がったのである。

昭和4年12月31日、ノルウェーのヘルセット中尉が来日し、日本全国のジャンプ台の建設・改造に着手。札幌には1月4日に入り、ヘルセット中尉は建設候補地を探しまわった。途中本州に渡った後再び札幌入りし、3月現在の大倉山シャンツェの場所に決定した。

そして同年12月7日、北海道スキー連盟が発足した。秩父宮親王の来道とヘルセット中尉のジャンプ台建設・改造など、北海道のスキー界に大きな動きがあり、関係者から道内のスキー普及のさらに進めようと機運が高まり、今回の連盟誕生にまで発展したのである。
そしてこの連盟発足のきっかけとなった秩父宮親王を称える目的で、記念スキー大会を設立する事になった。これが「秩父宮殿下高松宮殿下御来道記念大会」、後の宮様スキー大会である。

第1回大会は昭和5年2月11日に開幕、15・16日に続開の日程で行われ、荒井山が会場となった。
ジャンプ台は前年12月20日に竣工した、ヘルセット中尉の指導を受けた広田戸七郎が設計した記念シャンツェが使用されたが、他のジャンプ台に比べて大きく、エントリーした51人の中で参加したのは24人、さらに着地できたのは2人だけであった。距離は40km・18km、そして複合も行われたが、全体的に競技会というより、スキーフェスティバルのような雰囲気だったという。

その後の昭和7年(1932年)11月には大倉山シャンツェが完成し、宮様スキー大会の花形会場として利用され、このジャンプ台で日本記録が立て続けに誕生したため、「ジャンプ記録の大会」として有名になった。大会は毎年開催されるようになり、昭和13年の第9回大会は中止となったが、昭和19・20・21年といった終戦前後も中止される事なく開催。昭和23年からジャンプ競技の優勝者に秩父宮杯、長距離の優勝者に高松宮杯が送られる事となった。

現在宮様スキー大会は2009年で第80回を数える、歴史ある大会へと成長を続けている。
[PR]
by wataridori21 | 2009-08-17 07:41


<< レークプラシッド五輪代表選手の... ハンネス・シュナイダーの来日(... >>