「大倉山シャンツェ」の完成(1932年)

昭和7年(1932年)1月16日、北海道札幌にて全日本学生スキー選手権大会が開催された。

「大倉山シャンツェ」のお披露目となったのがこの大会である。大倉山シャンツェは、ノルウェーのヘルセット中尉が昭和4年3月に設置場所を決め、昭和6年7月に着工、10月6日に完工。完成当時は助走路が6m、全長100m、ランディングバーンは幅が10~13mで長さは130m、ブレーキングトラックは150m、工事費は当時の金額で5万48円だった。

大倉山シャンツェは完成後は札幌市に寄贈され、翌年1月16日の選手権大会初日に開場式が行われた。札幌市の橋本正治市長(札幌スキー連盟会長も兼務)はこのジャンプ台を「大倉山シャンツェ」と命名。当初は「札幌シャンツェ」の案があったが、橋本市長と佐上北海道知事が、建設費を投じた大倉喜七郎の好意に報いる意味で、この名称を選んだという。

この選手権でのバッケンレコードは、北海道大学の山田四郎が出した44.5m。この後の2月に行われた全国中学校大会ジャンプ競技で、札幌一中の松山茂忠が51.5mを飛んだ。それまでの日本記録は、昭和4年に伴素彦が赤城山シャンツェで飛んだ48mであり、この時から大倉山は日本記録のシャンツェとして有名になったのである。

選手権での結果は次の通り。
距離50km 1位→黒田敦(北大)、2位→清水麟一(早大)、3位→藤沢伸光(早大)
距離18km 1位→宮村六郎(北大)、2位→奥井由雄(北大)、3位→木越定彦(明大)
複合競技  1位→宮村六郎(北大)、2位→奥井由雄(北大)、3位→四谷勇(小樽高商)
ジャンプ競技1位→山田四郎(北大)、2位→奥山欣一(早大)、3位→伊黒正次(北大)
32kmリレー1位→早大(二ツ山勝一、宇田正、藤沢伸光、清水麟一)、2位→北大、3位→明大

翌2月5日、長野県野沢温泉で第10回全日本スキー選手権大会が開催。この大会は神宮スキー大会(冬季国体の前身)を兼ねて行われた。全国大会ということで、北海道・樺太や西日本の選手の移動の困難さを考慮して神宮大会と全日本選手権を兼ねて行ったのである。
しかしこの大会では初日前日から吹雪となり、50kmでは出場者48名の内20名が途中棄権(1~3位が北大選手で占められたが、レース中は3人揃って交互にラッセルしながら進み、ゴールも3人並んでゴールしたという)。ジャンプでも強風に煽られ、記録は伸びなかった。

距離50km 1位→宮村六郎(北大)、2位→奥井由雄(北大)、3位→黒田敦(北大)
距離18km 幼年1位→松橋朝一(中央電気)、成年→宮下義明(中央電気)、壮年→横浜荘(青森林友)
複合競技  幼年1位→古川正雄(青森)、成年→奥井由雄(北大)、壮年→高橋源三(盛岡)
ジャンプ競技幼年1位→小島謹也(札幌商業)、成年→奥山欣一(早大)、壮年→高橋源三(盛岡)
32kmリレー1位→中央電気スキー倶楽部(岡本重五郎、後藤五一郎、松橋朝一、宮下博)、2位→早大、3位→上古志スキー倶楽部
16kmリレー1位→高田中学(野崎、築田六郎、広川悦朗、可児久男)、2位→札幌一中A組、3位→長岡商業
女子4kmリレー1位→真岡高等女学校(外木ツル、中野仙子、西村智子、木村ツナ)、2位→豊原高等女学校、3位→小千谷小学校
回転競技  1位→富井憲治(野沢)、2位→広川悦朗(高田中)、3位→園部政晴(群馬)
滑降競技  男子1位→青柳広(長商)、女子1位→外木ツル(真岡高女)
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by wataridori21 | 2009-08-22 07:16


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