第5回冬季五輪の札幌開催決定(1937年)

1936年(昭和11年)7月31日、ベルリンのホテル・アドロンでIOC総会(国際オリンピック委員会)が開催された。

1940年の夏季五輪の開催候補に立候補を挙げたのは東京とヘルシンキ(フィンランド)の2都市で、このIOC総会で最終決定することになっていたのだが、委員の投票結果は36対27で東京が選出された。しかしここでは冬季五輪の候補地は決まらなかった。
その翌1937年2月、シャモニーで開催されたIOC総会で、正式に札幌に決定した。

札幌決定を受けて、7月19日に小島三郎(全日本スキー連盟会長)・高辻武彦(大日本スケート連盟会長)らを委員とする「第5回冬季オリンピック札幌大会実行委員会」を発足。
設備については、スキーは陸上競技場(距離発着地)、大倉山シャンツェ(ジャンプ台、80m級に改造し60m級を並行して新設)、三角山(回転競技、新設)、手稲山(滑降競技)。スケートは中島公園に屋内・屋外スケート場を新設。ボブスレーは札幌神社飛地境内に新設する事となった。

1月22日から3日間の日程で第10回全日本学生スキー選手権大会が札幌で開催。この大会ではアルペン複合(滑降・回転)が初めて採用された。総合順位は1位・明大、2位・早大、3位・北大。

2月11日、秋田県大館で第15回全日本スキー選手権大会が開催。従来の距離・ジャンプは大館で行ったが、アルペン競技(滑降・回転・複合)は大館に適当な会場がなく、滋賀県米原の伊吹山にて2月21日から2日間の日程で開催する事となった。西日本で全日本選手権が開催されたのはこれが初めてである。しかし10日の段階で雪が無く、直前の17日に降雪がありどうにか開催する事ができた。22日にはすでに雪が解け始め、ギリギリのタイミングで全種目が終了できたという。

選手権は無事に終わり、いよいよ「札幌五輪」へ向けた動きが本格化してきた矢先の7月7日、中国・北京で盧溝橋事件が起き、それをきっかけに日中戦争が勃発。これにより日本でのオリンピック開催が危ぶまれていく事になるのである。
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by wataridori21 | 2009-08-27 21:53


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