「団体競争」と「軍隊競争」(1940年)

昭和15年(1940年)は全国的に雪の多い年となった。

本来、札幌五輪が行われる予定の年であったが、日中戦争は泥沼化し国内のスキー選手権も次第に戦時色の強いものに変貌していった。

1月17日から21日にかけて、長野県野沢温泉にて第13回学生選手権大会が開催。野沢温泉では前年に続き2大会連続で開催された。
アルペン複合(滑降・回転)では明大の3人が3位までを独占(1位・若尾金之丞、2位・大島田鉄郎、3位・星野昇)。長距離では1・3位が明大(1位・菊池富三、2位・坂田時人(慶大)、3位・斉藤行男)。ノルディック複合も1・2位が明大(1位・菊池富三、2位・逸見三郎、3位・及川良彦(日大))。ジャンプは北大の姿がめっきり減り、早大が2・3位と目立ってきた(1位・菅野俊一(小樽高商)、2位・大西哲司、3位・竜田鳳三)。リレーは1位・早大、2位・明大、3位・日大。この頃になるとほぼ明大の1人勝ちの印象が強くなっている。

2月8日から5日間にかけて第18回全日本スキー選手権(第10回神宮スキー大会を兼ねる)が、新潟県高田で開催された。この大会では、新種目として「団体競争」と「軍隊競争」の2つが設定された。

団体競争とは、5人でチームを編成して同時スタートし、全員がゴールしたタイムで競うもので、鉄道・逓信・営林・青年団・工場鉱山・警防団の各府県対抗(これのみ3人でのチーム編成)でそれぞれ行った。最後の1人がゴールしたタイムで順位が決まる為、1人突出した選手がいても勝てないことからチームワークを問われる競技といえる。
軍隊競争とは、文字通り軍人達が参加し5人でチームを編成して、途中5人中4人が5発ずつ計20発の射撃を行い、命中1発について1分の計算で所要時間から差し引き、順位を決めるものであった(ルールは違うが競技風景は現在のバイアスロンを連想させる)。
選手権では他に、18km、36km、リレー、ノルディック複合、府県対抗リレー(男子・女子)、アルペン複合(男子・女子)

全日本選手権では秩父宮殿下が出席していたが、彼は大会終了直後に満蒙へ出張し滞在先で大病を患い長い闘病生活に入った。彼にとってこれが最後のスキー選手権への出席となった。
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by wataridori21 | 2009-08-30 06:53


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