全日本スキー連盟(SAJ)の財団法人化(1941年)

昭和16年(1941年)は日本軍による真珠湾攻撃の年である。

この頃になると、日本国内でのスキー用具の確保は難しい環境になってくる。昭和12年(1937年)9月に外国製スキー用具の輸入が禁止され、翌13年には国家総動員法が成立し木材・革靴・鉄類・アルミニウム・ゴム・綿布類・毛糸類・石油などスキーに必要な物資は軍需にまわり、新規に調達はできなくなった。

昭和13年時点ではまだそれまで使っていた用具でまかなうことができたが、昭和16年くらいになると用具の不足が深刻な問題となってきた。その中でも例年行われる選手権は粛々と開催されていった。

北海道・小樽で第14回全日本学生スキー選手権が、1月15日から4日間の日程で開催。すでに前年までに明治大学が総合2連覇しており、この大会でも圧倒的な活躍をみせ、明大は3連覇を達成。明大はアルペン複合で1・2・3位、耐久で1・3位(2位は北大)、リレーで1位(2位・早大、3位・北大)、ノルディック複合で2位(1位・早大、3位北大)、ジャンプで2位(1・3位は早大)とタイトルのほぼ独占。すでに早大・北大の栄光は過去のものになっていた。

2月4日からは札幌・小樽で第19回全日本スキー選手権が第11回明治神宮国民体育大会を兼ねて開催。

この前年には「紀元二千六百年奉祝」を謳った「紀元二千六百年奉祝第11回明治神宮国民体育大会」が開催されており、その中のスキー大会としてこの年に開催されたのである。「紀元二千六百年」とは、初代天皇の神武天皇が即位したとされる年を紀元として、1940年が2600年目にあたる年という意味である。参加者は、実に1143人にのぼる盛大な大会となった。
種目は、軍隊競争・青年学校府県対抗伝令・リレー・距離18km・50km・ノルディック複合・ジャンプ・滑降・回転・アルペン複合。全体的に悪天候だったが、一部日程を変更してすべての競技を実施した。

同じ昭和16年4月23日、SAJは「財団法人・全日本スキー連盟」となった。全国で大会を毎年開催するとなると、連盟は事前に文部省・外務省・鉄道省などの官庁や地方府県との折衝をする為、その際の信用を取る為には「財団法人化」したほうが良く、SAJ設立当初から悲願となっていて、そのために必要な基金1万円がこの年にようやく集める事ができたので、今回の設立となったのである。
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by wataridori21 | 2009-08-31 07:02


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