「全日本スキー連盟」の解散と「大日本体育会スキー部会」の設立

昭和17年(1942年)、太平洋戦争の開戦の翌年ながら、この年もスキー選手権は行われた。

1月17日から5日間の日程で、山形県で第15回全日本学生スキー選手権が開催。種目のうち、滑降のみが山形県と福島県の境にある吾妻連峰で、それ以外は米沢市で行われた。各競技ともに明治大学が大活躍をみせ、同大学は総合1位で、これは4年連続1位の快挙。とくにジャンプ選手のレベルアップは目を見張るものがあった。ちなみに種目は、アルペン複合・耐久20km・16km・40km、ノルディック複合。

2月6日から3日間の日程で「第12回神宮スキー大会」開催。この大会は「第20回全日本スキー選手権大会」を兼ねて開催され、種目は軍隊競争・団体競争・距離45km・17km・アルペン複合、女子大回転、40kmリレー。

昭和17年4月8日、大日本体育協会が解散。そしてスキー部も大日本体育会の1つの部署となった。これは戦時下のスポーツ団体を統一する必要から実行した。前年にせっかく設立した「財団法人全日本スキー連盟」も解散し、部会の発足させることした。
さらに各スポーツの表記は「片仮名の名称を持つ部会は漢字の名称に変更すべき」との意見が国内で出てきた。その為、バレーボールを「排球」、スケートを「氷上」。バスケットを「篭球」、ハンドボールを送球に変更している。

この年、SAJは「国防」を全面に押し出して、「国防スキー列車」を走らせている。1月から3月まで毎週土曜日の夜に運転され、上越線・岩原スキー場まで専用列車で移動し、3日間の日程で軍事教練を行った。
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by wataridori21 | 2009-09-01 23:23


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