戦技スキー兼壮丁皆スキー訓練指導養成中央講習会(1944年)

昭和19年(1944年)1月6日、大日本体育会は長野県菅平にて「戦技スキー兼壮丁皆スキー訓練指導養成中央講習会」を開催した。

すでにこの年の日本では、米軍による日本本土への空襲が始まる時期だったが、国民の士気高揚を狙った行事が多く、まともにスポーツができる環境ではなくなった。その為他のスポーツ大会は次々と中止となり、スキー大会もその例外ではなかった。しかしスキー自体もともと軍隊の雪上移動を目的に発達してきた歴史があり、スキー講習会そのものは継続された。
豪雪地帯での戦争を想定した訓練として「戦技スキー」なるものができ、山岳書専門の「梓書房」の経営者・岡茂雄が編集した「戦技スキー要綱」という冊子を参考に、戦技スキーの講習会を開く事となった。
参加者は大日本体育会スキー部会関係119人、青少年団25人、在郷軍人33人、日本新聞会24人、さらに海軍機関学校と陸軍幼年学校から数名。講師は陸軍戸山学校、スキー部会の計35人。

内容は、スキーを履き、夜間での移動(吹雪の日を選んで行う)、橇(そり)を曳く訓練、雪中炊さん、雪中露営などで、主に四阿山で行った。日程は1月6日から11日の6日間で、零下18度の極寒の環境であったという。

この年は学徒スキー大会・選手権大会は戦況の悪化で行われず、第14回明治神宮国民錬成大会冬季スキー大会は行われたが、実際には開催地・新潟県長岡市の小中学校の生徒のみの参加で、内容も分列行進・スキー体操・雪上戦技訓練・橇(そり)の曳行競争・雪上薙刀訓練といった、およそ競技大会とはいえない戦時色のみ大会となった。それ以外では北海道で第15回宮様スキー大会が明治神宮大会北海道大会を兼ねて開催されたくらいであった。

その年の暮れ近くから、東京をはじめ日本各地で米軍による空襲が頻発するようになった。もうすでにスポーツの事など考えられない状況に追い込まれていった。
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by wataridori21 | 2009-09-03 07:32


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