「第1回全道スキー選手権大会」と錦戸善一郎(1946年)

昭和21年(1946年)の日本は、戦災の影響から前年同様、全国的なスキー大会は行われなかった。

しかしその中で北海道では、立て続けにスキー講習会やスキー大会が開催されていった。
まず1月18日から小樽で文部省主催のスキー講習会が3日間の日程で行われ、20日に札幌荒井山シャンツェで札幌雪友ク主催の記録会、26日から旭川市井の沢スキー場で「第15回中部北海道スキー選手権大会」が2日間の日程で、27日には札幌三角山で雪友ク主催の「紅白対抗大回転」、2月9日には「全道中学校スキー大会」が開催された。

そして3月1日から3日間の日程で、「第1回全道スキー選手権大会」を兼ねた「第17回宮様御来道記念スキー大会」が開催。全道スキー選手権大会を企画したのは錦戸善一郎。彼は戦前の冬季五輪・距離競技のトレーナーを務めた人物だが、同時に北海道内でバレーボールやリュージュなどのスポーツ振興に多大な功績を残している。「日本スキー発達史」では、大会を終えての感想が残されている。

「食料、輸送、宿舎等の悪条件なんのその、道内から420名の参加は日本選手権級だった。質的に見てもかつてのインタカレヂ、日本選手権の雄者が集まり、久し振りに快心の競技会を開く事ができた。新進も輩出した一方、学連OBの健在は心強く、それに大部分は復員者たちで、この大会で心のわだかまりが一度に吐き出されたような気がした。この気持ちは参加者全部にもあったようだ。そしてみんなよく走り、飛び、この選手連の姿を見て私は涙が出るほど嬉しかった。万難を排してこの大会を計画し、実行に移してよかったと思う。スキー北海道健在です」

ちなみに本州でのスキー界の動きとしては、3月10日に山形県蔵王で滑降競技会、さらに秋田県横手と新潟県小千谷で「社会体育スキー指導者講習会」が行われた。講習会では基礎スキーの講習が行われ、この時期に「戦技スキー指導者制度」は廃止・無効となった。

10月17日、戦後初の代表者委員会が開催された。メンバーは次の通り。

会長→小島三郎、
副会長→小川勝次
専務理事→竹節作太

理事→岩崎三郎・稲葉忠七・錦戸善一郎・保科武雄・吉岡竜太郎・高橋次郎・丹内正一・小林辰雄・秋野武夫・宮川恒雄・三沢竜雄・千家哲麿

幹事→佐藤助九郎・田村義輝

技術委員→伊黒正次・竜田峻次・栗谷川平五郎・佐々木直・春日俊一・阿部一美・猪谷六合雄・笹川速雄・清水麟一・伊部猪吉・丹内正一・川畑憲雄・三浦敬三・宮村六郎・高橋次郎・稲葉忠七・山田勝巳・秋野武夫・安達五郎・杉村鳳次郎・四谷勇・宮島巌・柴田信一・栗山魏・葛西儀四郎・藤沢伸光・矢崎力・新妻正一・岩崎三郎・片桐匡・野崎彊・鈴木正彦・小竹実・村井栄一・安藤光潔
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by wataridori21 | 2009-09-05 06:44


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