第26回全日本スキー選手権大会(1948年)

昭和23年(1948年)は、戦後の日本スキーが本格的に復活した年である。

北海道・小樽で第21回全日本学生スキー選手権大会が、1月15日から4日間の日程で開催。種目はアルペン複合・耐久・長距離・ノルディック複合・ジャンプ・リレー。総合では前年に続いて明大が優勝、2位が慶大・3位が日大、4位が法大、5位が早大、6位が小樽経専、7位が北三師、8位が北大。2位に慶応大学が台頭している事が注目される。

そして長野県野沢温泉にて、第26回全日本スキー選手権大会が3月11日から4日間の日程で開催。これは第3回国民体育大会冬季スキー大会を兼ねたもので、戦後初の全日本スキー選手権である。出場者の多くは戦争からの復員者で占められていたが、この中で猪谷六合雄・猪谷千春の親子2人が出場し、これが全日本選手権初出場でもある千春は、アルペン複合で初出場初優勝を飾った。
開催種目は耐久・長距離18km・アルペン複合・ノルディック複合・ジャンプ・40kmリレー

この時の模様を「激動のスポーツ40年史」(ベースボールマガジン社)では、こう書かれている。

全国から集まった役員、選手達の顔はドス黒く栄養失調ぎみだったが、表情は一様に喜びにあふれていた。スキーをやれる喜び、噛みしめている思いが体からにじみでているようだった。
滑降トレーニングのスロープ、回転バーン、そして距離コース、さらにジャンプ台のあちこちで「おい!死ななかったな」「お互い悪運が強いようだ」「××はどうした」といった、お互いの無事を喜び合うとともに、まだ会えぬ仲間の安否をきづかう会話ばかりが聞こえた。

猪谷六合雄、千春の親子選手が群馬から出場したのをはじめ、距離では増田慎一、矢崎力、井上健二、落合力松、鈴木幸太郎、ジャンプでは宮島巌、森敏雄、浅木文雄、菅野俊一、若本松太郎、アルペンには片桐匡、橋本茂生、奥村末男など、戦前の日本を代表する選手が元気で活躍した。もちろん、昔使った古いスキー、スキー靴を引っ張り出し、進駐軍の払い下げを加工したユニフォームに身を固めていた。

明るい話題その一は、猪谷少年と称えられた猪谷千春(赤城山に移っていた)が成人として抜群のテクニックというより、ただ1人外側荷動のスキーを見せ、楽々と優勝したのである。
その二は、滑降で新潟県から出場した久保強、茂原博太郎少年は、競技終了後に新制中学校で出場資格のないことが判明して記録は抹消されたが、成、少、壮年を通じてのベストタイム。もちろんコンディションの違い、特に、3月で朝の早い時間と午後では、スキーの滑りの差はあるにしても、久保少年は4分9秒、茂原少年は4分15秒、成年1位の若木が4分12秒だった。猪谷に続くものと期待された。

初の国体を演出してくれたのが、常盤屋旅館のご主人であり早大のOBでもある高井宜雄さんをはじめ選手も兼ねた酒屋旅館の森敏雄さん、同じくお店をやりながらの片桐匡さん、さらに記録、成績表作成を一手に引き受けてくれたのは桐屋旅館のご主人といった人たちだった。


この年の1月30日、スイスのサンモリッツで第5回冬季オリンピック大会が開催された。しかし日本とドイツは第二次世界大戦によってFIS(国際スキー連盟)から除名処分を受けており、この大会には出場していない。両国のFIS復帰は昭和26年4月まで待たなければならなかった。
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by wataridori21 | 2009-09-10 05:36


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