日本初のスキーリフト誕生と電気計時装置の採用(1950年)

昭和25年(1950年)頃になると、日本の幾つかのスキー場にスキーリフトが登場してきた。

日本最初のスキーリフトは、昭和21年(1946年)秋に長野県志賀高原・丸池スキー場と北海道・札幌の藻岩山に、米軍専用として建設。そして民間で最初は昭和24年(1949年)、群馬県草津温泉の天狗山に作られたリフトで、昭和25年(1950年)には長野県野沢温泉に建設された。
野沢温泉でリフトが建設された時の事を「激動の昭和スポーツ史」(ベースボールマガジン社)の中で、片桐匡(後の全日本スキー連盟副会長)が語っている。

「草津に刺激を受けて野沢でもスキークラブを中心にその着工工事が始まったのですが、しかしその頃はまだリフトなど作る会社もあるわけでなく、いろいろ考えた末、知り合いの所長のいる小串鉱山から鉄索の技術屋さんである佐々木さんを頼んできて、櫓は手作りの木製で、機械は近くの前田鉄工所に依頼、ワイヤーは鉱山から中古品を買ってきて、といった具合にすべて手作りでやったものでした。
日影ゲレンデの第1リフトがそれで、車の入らない山道をワイヤーを運ぶのに思案の末、小中学生を動員して、ワイヤーを伸ばしてそれにつかまらせて運び上げたり、搬器にはスキーヤーが乗るのだから外れて落ちてはいけないとクリップをダブルにする事を考えたりしました。
それでもスチール板が切れたりするので運転している間じっと監視を続けたり、いったん止まるとワイヤーが逆回転して、スキーヤーは急いで飛び降りなければならないなど、ハプニングが続出したのも思い出します。

そんな危険なこともありまして、それではまともな料金も貰えないだろうと、乗り物に箱をおいて、気持ちがあったら10円入れてくださいといった程度の経営状態だったのです」


昭和2年(1950年)1月、秋田県にて第23回全日本学生スキー選手権大会が開催。アルペン競技は大湯、ノルディック競技は大館で行われ、アルペンでは湯浅栄治・伊藤文雄(ともに法大)ら若手が数多く台頭してきた。総合では1位・明大、2位・日大、3位・慶大、4位・法大、5位・早大となり、各大学とも群雄割拠の様相をみせ始めている。

3月には、山形県にて第28回全日本スキー選手権大会が、国体スキー大会を兼ねて開催。競技は五色・米沢で分担して行われ、アルペン複合で猪谷千春が前回大会の雪辱を果たして優勝。女子の部で木谷初子が優勝し、前々回から数えて大会3連覇を記録した。
この大会で大きな話題となったのは、選手の記録よりも電気計時装置を導入した事である。それまでスキー競技のタイムは大雑把な計り方しか出来なかった。そこに、戦前からアルペン競技に興味を持っていた山形大学の長谷川太郎教授が、戦時中に使用していたレーダーの部品を使って日本初の電気計時装置を発明した。それまで10分の1程度の計測しかできない時計を使っていたものが、この装置により一気に100分の1秒を楽々計測できる事となった事から多くの選手達の支持を集めた。
[PR]
by wataridori21 | 2009-09-10 18:48


<< 全日本スキー連盟(SAJ)のF... 第27回全日本スキー選手権大会... >>