ピエール・ギヨーとアンリ・オレイエの来日(1955年)

昭和29年(1954年)2月、フランスからピエール・ギヨーとアンリ・オレイエがスキー技術講習の為に来日した。

ギヨーは眼科医の傍らフランススキー連盟の教育委員会委員長の肩書きがあり、オレイエは1948年に開催されたサンモリッツ五輪の滑降とアルペン複合の優勝者である。2人は全日本スキー連盟の招きで日本入りし、2月5日の長野県志賀高原を皮切りに赤倉・湯沢・大穴・日光・神鍋・蔵王・大館・大鰐・札幌・小樽と回りスキーの指導を行った。

全てのスキー講習会が終わると、朝日新聞社はお茶の会を催した。その席上でこう発言した。内容が「日本スキー発達史」に書かれている。

「日本のスキー人口の多いのに驚いた。世界一ではないかと思う。しかし女性の少ないのはどうした事だろう。女性だけの人口を比較すればフランスのほうが多いかもしれない。一般にスキー人の服装も用具も悪い。特に女性の服装はもっと綺麗にしてよい。スキーも大てい長すぎるし、性能もよくない。あんなスキーでは上手になれないし、良い選手は生まれない。その上施設が不十分で、各国のそれに比較するとずいぶん遅れている。
第一にリフトの数が少ないし、あっても短いリフトばかりだ。もっと長いリフトを架設して十分練習できるようにすべきだ」


明けて昭和30年(1955年)1月、第28回学生スキー選手権が開催。総合優勝は早大となった。
さらに2月、第33回全日本スキー選手権大会が開催。ノルディック競技は札幌、アルペンスキー競技は富良野の北の峰で行われた。この大会は翌年にイタリアで開催される第7回冬季オリンピックの選手選考になる大会だった。結果は次の通り。

滑降 1位→斉藤貢、2位→藤島幸造
回転 1位→杉山進、2位→伊藤文雄
15km 1位→角昭吾、2位→宮尾辰男
40kmリレー 1位→秋田林業、2位→三井芦別
複合 1位→佐藤耕一、2位→藤田武四郎、3位→太田実
50km 1位→小西健吾、2位→斉藤弘

そして大会終了後、コルチナ五輪のメンバーを決めた。結果は次の通り。

監督→野崎彊
コーチ→久慈庫男
選手
ジャンプ→吉沢広司
複合→佐藤耕一
距離→宮尾辰男
アルペン→杉山進・猪谷千春
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by wataridori21 | 2009-09-11 22:32


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