ガンバ大阪(旧・松下電器産業サッカー部)

1.JSL時代(松下電器産業サッカー部時代)

ガンバ大阪の前身は松下電器産業サッカー部である。

松下電器サッカー部は、1980年、JSL(日本サッカーリーグ)の名門・ヤンマーディーゼルの下部組織だった「ヤンマークラブ」が廃部となった際に、同チーム所属の選手達が結成した。初代の監督は水口洋次だった。
当初は奈良県社会人リーグ2部に所属していたが、1983年地域リーグ決勝大会で準優勝を飾り1984年からJSL2部に昇格、1985年のリーグ戦で見事に優勝して1部に昇格した。

1990年の天皇杯では見事に優勝。後にガンバで活躍することとなるFW永島昭浩、GK慶越雄二らが当時の主力だった。
1991年Jリーグ設立に呼応して参加を表明、JFAも了承した。その際にチーム名も「パナソニックガンバ大阪」に変更された。結成当初のJリーグ参加チームで近畿地方のプロサッカーチームはガンバだけである。そして初代監督にヤンマー出身の釜本邦茂が務める事となった。

ガンバ大阪の公式サイトを見ると、「チーム名「ガンバ」の由来は、イタリア語で「脚」を意味する言葉。シンプルで強いチームを目指す、サッカーの原点である「脚」を強調した。 「ガンバ」という響きは、日本語の「頑張る」にも通じる」との事。

そして1992年9月に開催されたヤマザキナビスコカップでは8位と出遅れ、戦力が今一つの状態で1993年のJリーグ開幕を迎えることとなった。

2.Jリーグ時代(1993~1998年シーズン)

1993年、釜本邦茂新監督は18歳の松波正信をトップに抜擢してシーズンに臨んだ。

フォーメーションは4-4-2。永島昭浩・松波正信の2トップ、トップ下にアレイニコフ、左サイドに磯貝洋光、右サイドに久高友雄、ボランチにフラビオ、4バックに和田昌裕・賈秀全・梶野智幸・今藤幸治、GKに本並健治。
しかし成績は振るわず16勝20敗で総合7位、1994年も1試合7失点の記録的失点をするなど低迷を続け、15勝19敗で10位となり釜本監督は辞任。

1995年、ヘルト監督になっても低迷は変わらず18勝34敗で総合14位、1996年はクゼ監督が就任したが11勝19敗で総合12位と振るわない。

1996年はガンバにとってある意味歴史に残るシーズンだった。カメルーン代表選手のパトリック・エムボマが加入したのである。世界的にも有名なこのストライカーの入団によりガンバの得点能力は大幅に上がった。エムボマは28試合中25得点を挙げ、リーグ得点王となった為だ。この年の第2ステージでは2位、総合4位と、それまで毎年最下位候補に挙がっていたチームを強豪に押し上げた。

ちなみにこのシーズンの顔ぶれを見ると宮本恒靖や稲本潤一など、その後の日本代表チームの柱に成長する選手が登場してくる。彼らがその後、現在の強豪・ガンバの歴史を作っていくのである。
フォーメーションは3-5-2。エムボマ・松波正信の2トップ、トップ下にクルプニ、左サイドに平岡直紀、右サイドに森下仁志、ボランチに宮本恒靖・稲本潤一、3バックに實好礼忠・バブンスキー・斉藤大輔、GKに岡中勇人。

しかしエムボマが在籍したのはこの1年のみ。彼が抜けた1998年は12勝22敗で総合15位と元の順位に戻ってしまった。

3.Jリーグ時代(1999~2006年シーズン)

1999年、就任したばかりのアントネッティー監督が成績不振でシーズン途中で辞任し、後任に早野浩史が就任。

早野監督は、新井場徹・都築龍太といった若手を積極的に起用してチーム戦力の底上げをはかった。その成果が実り、1999年は11勝18敗1分けで総合11位だったが、2000年には15勝13敗2分けで総合6位、2001年には京都パープルサンガから遠藤保仁が加入し手来た事もあり14勝14敗2分けで総合7位と、チームは常にリーグ中位の位置を守る実力がついてきた。

そして2002年にアトランタ五輪で指揮を執った実績を持つ西野朗監督が就任。ここからチームは黄金時代へと駆け上がることになる。
2002年は19勝10敗1分けで総合3位(第2ステージは2位)、03年は10勝11敗9分けで10位に後退したが、04年にFW大黒将志の台頭などで15勝9敗6分けで総合3位、

そして2005年、アラウージョの加入などで一気に首位に躍り出て18勝10敗6分けで見事にチーム初優勝、次いでナビスコカップでも準優勝、天皇杯でベスト8とチーム黄金時代を迎えた。

05年のフォーメーションは3-5-2。アラウージョ・大黒将志の2トップ、トップ下にフェルナンジーニョ、左サイドに二川孝広、右サイドに渡辺光輝、ボランチに遠藤保仁・橋本英郎、3バックに山口智・宮本恒靖・シジクレイ、GKに藤ヶ谷陽介。

2006年は FC東京からMF加地亮が加入し2連覇が期待されたが、シーズン終盤に攻守の要である遠藤保仁が肝炎で離脱し失速してしまい20勝8敗6分けで3位、しかし天皇杯では準優勝。

07年で西野朗政権も6年目、更なる飛躍が期待されているチームである。
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by wataridori21 | 2007-07-14 23:06


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