アルビレックス新潟(旧・新潟イレブンサッカークラブ)

1.新潟イレブンサッカークラブ時代

アルビレックス新潟の前身は新潟イレブンサッカークラブである。

新潟イレブンサッカークラブは1955年に結成され、その後クラブチームとして地道に活動を続けていた。1986年に地元の北信越リーグに昇格し、参加1年目にして優勝。その後も同リーグの強豪として活躍。

1992年、FIFAワールドカップ開催地に日本が候補になった事から、新潟県が国内開催候補に名乗りを挙げた。
1993年に正式に新潟県が候補地に決定した為、同県では地元にプロサッカーチームを設立する構想が挙がった。そこで、北信越リーグで好成績を挙げていた新潟イレブンSCを強化してJFL・Jリーグへと昇格させようという事になった。
そして1994年にチーム名を「アルビレオ新潟」に改称したのである。

1996年にチーム運営会社「株式会社アルビレオ」が設立。同年、北信越リーグで優勝し、チーム名を「アルビレックス新潟」、運営会社も「株式会社アルビレックス新潟」に改称した1997年も2年連続優勝を果たし、1998年1月に開催された全国地域リーグ決勝大会で2位となり、JFL昇格が決まった。

1998年にJFLに昇格し活躍、1999年J2発足の際に加入となった。

2.Jリーグ時代(1999~2002年シーズン)

1999年、J2参加1年目は20勝2分け14敗で4位と健闘。永井良和監督の下、フォーメーションは4-4-2。鳴尾直軌・サウロの2トップ、中盤は左サイドに水越潤、右サイドにリカルド、ボランチに瀬戸春樹・秋葉忠宏、4バックに中野圭一郎・高橋直樹・セルジオ・木澤正徳、GKに木寺浩一。
2000年は15勝5分け20敗で7位と低迷し、永井良和監督は辞任し反町康治監督が就任。2001年、ホームグラウンド「新潟スタジアム」(愛称・ビッグスワン)が完成し、この年から使用が開始。チームも26勝4分け14敗で4位と躍進。
2002年は23勝3分け8敗で3位と、いよいよJ1昇格がすぐそばまで見えてきた。

3.Jリーグ時代(2003~2006年シーズン)

2003年、27勝7分け10敗でJ2優勝を決め、遂にJ1昇格を果たした。すでに3年目を迎えていた反町康治監督の下、フォーメーションは4-4-2。上野優作・マルクスの2トップ、中盤は左サイドにファビーニョ、右サイドに栗原圭介、ボランチに秋葉忠宏・山口素弘、4バックに三田光・丸山良明・アンデルソン・尾崎瑛一郎、GKに野澤洋輔。

2004年、J1昇格1年目は、10月に起きた新潟県中越地震の影響もあったが10勝7分け13敗で総合10位とまずまずの成績となった。

2005年はエジミウソン・ファビーニョ・アンデルソンの3トップが強力な得点力を発揮したが守備力の弱さが響き11勝9分け14敗で12位に終り、反町康治監督は任期5年で辞任。

2006年は12勝6分け16敗で14位となった。鈴木淳監督の下、フォーメーションは4-4-2。矢野貴章・エジミウソンの2トップ、中盤は左サイドにファビーニョ、右サイドに鈴木慎吾、ボランチにシルビーニョ・寺川能人、4バックに梅山修・中野洋司・海本慶治・三田光、GKに北野貴之。

まだまだ発展途上のチームではあるが、2001年以降は年々観客動員数を飛躍的に伸ばし、今やJリーグ1・2を争うほどの観客数を誇るチームとなった。チーム運営会社も、現在は出資する企業・団体は170を数えるまでになり、各方面のプロスポーツ界から「地域密着形チームの代名詞」として注目を集めている。

さらに同チームは近年、様々なスポーツ界に進出している。

2004年→スキー・スノーボードのチーム「チームアルビレックス新潟」
2004年→女子サッカーリーグ・Lリーグ2部所属チーム「アルビレックス新潟レディース」
2005年→陸上競技のクラブチーム「新潟アルビレックスランニングクラブ」
2005年→プロバスケットボール・Bjリーグ所属チーム「新潟アルビレックスBB」
2007年→北信越BCリーグ所属チーム「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」

これこそ、Jリーグ発足当初に掲げられた「Jリーグ100年構想」に沿った、理想的な形でのチーム運営と言っていいだろう。

今後の日本のプロスポーツ界のあり方を考える上で、とても注目されているチームである。


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by wataridori21 | 2007-08-02 00:36


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