ロサンゼルス五輪・アジア最終予選と風間八宏の海外移籍(1984年)

1984年はロサンゼルス五輪の年であり、4月開催のアジア最終予選は森孝慈監督にとって、過去3戦間の集大成と位置づけた大会であった。

1月に来日したブラジルの名門・コリンチャンズとの3連戦で2勝1敗と、大きな成果を挙げた。

1月14日 コリンチャンズ戦→2-1
1月16日 コリンチャンズ戦→1-2
1月22日 コリンチャンズ戦→3-2

この時期には、原博実・水沼貴史・木村和司・加藤久・金田喜稔・柱谷幸一・風間八宏・岡田武史・都並敏史といった精鋭が揃い、いよいよ日本代表チームがアジアの強国として復活の兆しが現れてきた。
更に、アジア最終予選での日本のブロックには、当時アジアNo.1の実力を誇る韓国が含まれておらず、タイ・マレーシア・イラク・カタールの4チームと対戦する事から、大会前からかなり有利と見られていたのである。

予選前に、日本代表は東南アジア遠征を行った。予選の舞台がシンガポールだった事からブルネイ・インドネシアを廻り、気候に慣れておく目的もあった。

3月06日 ブルネイA代表戦→7-1
3月08日 ブルネイB代表戦→7-1
3月12日 ヤニタウタマ(インドネシア)戦→1-1
3月14日 PSMS(インドネシア)戦→1-0

そして4月、シンガポールにてロス五輪・アジア最終予選が始まった。しかし戦力は万全と思われた日本代表だったが、蓋を開けてみれば4戦全敗となってしまった。特に初戦で対戦したタイのFWピヤポンにハットトリックを決められるなど、まさに惨敗の内容を残してしまった。

4月15日 タイ戦→2-5
4月18日 マレーシア戦→1-2
4月21日 イラク戦→1-2
4月26日 カタール戦→1-2

この全敗の成績に対し、川淵三郎強化部長は大きなショックを受け、大会終了後に川淵部長の辞任に止まらず、強化本部自体が解散。森孝慈監督も日本サッカー協会に辞表を提出したが長沼健に留意され、当面の続投となった。

しかし大会前から海外移籍を希望していたMF風間八宏が、予選敗退を機に代表を離れ、西ドイツのプロチームであるバイヤー・レバークーゼンに移籍してしまった。
奥寺康彦、尾崎加寿夫に続く、風間八宏の海外移籍は、アマチュア至上主義だった当時の日本サッカー界の限界を、はっきりさせた出来事といってよかった。

5月には第7回ジャパンカップが開催された。今回はアイルランド・中国の代表とフランス・ブラジルのクラブチーム、そして翌1985年に神戸で開催されるユニバーシアード大会へ出場が予定されている代表チーム、そして日本A代表の6チームが参加したが、結果は1勝1敗、総得点差で3位となり準決勝へは進めなかった。

5月27日 トゥルーズ(フランス)戦→0-1
5月31日 中国戦→1-0

そして日本代表チームにとって、この年最後の試合となった日韓定期戦では1-0で勝利。特に敵地ソウルでの勝利は初の快挙だった。しかし韓国は本来のA代表の多くを選抜せず、若手主体の編成で臨んでいた事もあり、評価は難しい。

9月30日 韓国戦→2-1
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by wataridori21 | 2007-12-26 21:44


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