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横山謙三(元日本代表監督・選手、浦和レッズ監督・GM)

1988年から1991年までサッカー日本代表監督を務めたのは横山謙三。

彼は東京都出身で、埼玉県立川口高校から1962年に立教大学に進学し、同大学サッカー部で活躍。

1964年、東京五輪が開催された際には、代表チームのGKとしてベスト8進出に大きく貢献。
1966年、JSL(日本サッカーリーグ)の三菱重工業サッカー部に入部。
1968年、メキシコ五輪に出場し、日本代表チーム不動のGKとして銅メダル獲得。
1969年、三菱重工のJSL初制覇に大きく貢献。

1976年、三菱重工の監督(選手兼任)に就任。
1977年、現役を引退。
1978年、JSLで優勝。
1979年、1月の天皇杯で優勝。
1983年、三菱重工監督を退任。

1988年、サッカー日本代表監督に就任。3-5-2のシステムを採用し、当時の日本ではまだ一般化していなかったウィングバックを重視した戦法を執った。
1989年、W杯イタリア大会・1次予選で敗退。
1991年、第12回キリンカップで、日本代表が悲願の初優勝を飾る。
1991年、バルセロナ五輪・予選でU-23日本代表の総監督を務めたが予選敗退し、U-23総監督およびA代表監督を辞任。

1994年、森孝慈監督の後を受けてJリーグ・浦和レッズ監督に就任したが、サントリーカップ・ニコスカップ共に最下位争いを演じ、辞任。
1995年、浦和レッズGMに就任しチームの建て直しを行ったが1999年にJ2陥落。
2000年、J1復帰間近から終盤に失速したチームを奮起させるべく、当時の斉藤和夫監督を更迭 し自らが総監督に就任、チームは勢いを取り戻しJ1復帰を果たす。
2002年、浦和レッズGMを退任し、浦和レッズ常務取締役に就任。
2006年、浦和レッズ常務取締役を退任し、埼玉県サッカー協会・専務理事に就任。
2006年、日本サッカー殿堂入り。

現役時代は名GKとして活躍し、メキシコ五輪・銅メダル獲得の立役者の1人だったが、1980年代終盤で主力の世代交代の時期の日本代表監督を務めたり、戦力が崩壊していた時期の浦和レッズの監督を務めたりと、戦力不足のチームに縁が多く、不遇な指揮官だった。
by wataridori21 | 2007-12-31 19:06


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