ファルカン監督の就任・解任と第12回アジア競技大会(1994年)

1994年、ハンス・オフト監督の後任として、日本代表チーム監督に、ブラジル人のパウロ・ロベルト・ファルカンが就任した。

ファルカンは1982年のW杯スペイン大会で、ブラジル代表の一員として活躍した経歴がを持っており、この時はジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾとともに「黄金のカルテット」を組む、当時W杯では優勝候補の筆頭の呼び声が高かったが2次リーグで敗退していた。
引退後は1990年から1991年にかけて短期間ブラジル代表監督を務め、若手育成に一定の評価はあったが、監督としての実績はあまりなかった。

日本サッカー協会がファルカンを代表監督に抜擢したのは、実はそれまで数多くの候補者に就任要請を行ったがことごとく断られ、行き着いたのが彼だった、というのが理由だった。

ファルカン新監督は日本に関する情報が殆ど無く、オフト監督時代の選手を多く外し、Jリーグで活躍していた他の若手選手を多く抜擢して新チームを結成した。しかしそれがかえってチームバランスを崩し、日本代表は迷走を続ける事になってしまった。

5月、キリンカップが開催された。前科同様に他国の代表チームを招待して大会は行われ、相手はオーストラリア代表とW杯アメリカ大会・予選で敗退して本戦出場を逃していたフランス代表となった。
オーストラリア戦は同点といい勝負だったが、フランスはやはり強豪であり、案の定、大敗を喫した。

5月22日 オーストラリア戦→1-1
5月29日 フランス戦→1-4

その後、来日してきたガーナ代表との2戦、そして再びオーストラリア代表との1戦をこなした。

7月08日 ガーナ戦→3-2
7月14日 ガーナ戦→2-1
9月27日 オーストラリア戦→0-0

10月、第12回アジア競技大会が行われた。1次リーグを経て準々決勝に進む方式で、リーグ戦の相手はUAE(アラブ首長国連邦)・カタール・ミャンマー。
UAE・カタールと引き分け、ミャンマー戦は圧倒的な力を見せ付けて勝利、準々決勝では韓国と対戦する事となった。

この韓国戦前に日本サッカー協会の川淵三郎は、韓国戦で敗退したらファルカン監督の解任を決めていたという。就任以来、若手重視のチーム作りにこだわり、オフト時代の選手を外したこと、更にブラジル特有の「選手の自主性を重んじ、細かい指示は出さない」指揮ぶりがあり、川淵はファルカンの監督としての資質に疑問を持つようになっていたのである。
その韓国戦で日本代表は、1点リードされての後半終了間際、1度は同点に追いつくが、ロスタイム2分にPKで黄善洪に決められ敗退。

10月03日 UAE戦→1-1
10月05日 カタール戦→1-1
10月09日 ミャンマー戦→5-0
10月11日 韓国戦→2-3(準々決勝)

大会終了後、ファルカン監督は解任され、後任に元日産自動車監督の加茂周監督の就任が発表された。
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by wataridori21 | 2008-01-01 16:01


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