加茂周監督の就任と第2回キング・ファハド・カップとアンブロカップ(1995年)

1995年、新たに就任した加茂周監督の指揮の下にスタートした。

加茂周は、かつて1980年代全般に渡ってそれまで弱小チームに過ぎなかった日産自動車サッカー部を当時のJSL(日本サッカーリーグ)で1・2を争う強豪チームに作り上げた実績があった。日本サッカー界の関係者の多くに、加茂監督を指示する者は多かった。
加茂監督は、前任のファルカン監督によって外されていたラモス瑠偉・都並敏史らを代表に復帰させて、オフト監督時代に回帰する方針を打ち出した。

そして日本代表チームは、年明け早々の1月6日、FIFA主催の第2回キング・ファハド・カップに出場した。
キング・ファハド・カップとは1992年に設立された大会で、当時サウジアラビア国王だったファハド・ビン・アブドゥルアズィーズが、4年前の1988年のアジアカップで優勝したサウジアラビア代表チームを、他の大陸の優勝国チームと対戦させる為に設立したもので、その後1997年にFIFA(国際サッカー連盟)に移管され、現在のFIFAコンフェデレーションズカップとなった。
日本代表は1992年のアジアカップ優勝チームだった為、キング・ファハド・カップへの出場資格が与えられていたのである。

日本代表はグループリーグで、アフリカネイションズカップ優勝国のナイジェリアと、コパ・アメリカ優勝国のアルゼンチンと対戦する事となったが、まだ出来たばかりの即席チーム「加茂ジャパン」がかなう相手ではなく、2戦とも大敗を喫して予選リーグ敗退となった。
ちなみに決勝ではUEFA欧州選手権優勝国のデンマークとアルゼンチンが対戦し、デンマークが優勝している。

1月06日 ナイジェリア戦→0-3
1月08日 アルゼンチン戦→1-5

2月、香港にて第3回ダイナスティカップが行われた。この大会では、前回大会まで出場していた北朝鮮が不参加となり、変わって香港が参加する事となったのである。香港は当時まだイギリス領だった。
この大会で、日本は見事に優勝を勝ち取った。ファルカン監督時代の迷走からようやく抜け出した、3年ぶりの国際大会での優勝タイトルだった。

2月19日 香港選抜戦→3-0
2月21日 韓国戦→1-1
2月23日 中国戦→2-1
2月26日 韓国戦→2-2、PK5-3(決勝戦)

5月には第16回キリンカップが開催された。相手は強豪のスコットランド代表とエクアドル代表、いよいよキリンカップのレベルも本格的になってきていた。結果は1勝1分で1991年以来の優勝を勝ち取った。

5月21日 スコットランド戦→0-0
5月28日 エクアドル戦→3-0

6月、イギリス・ロンドンでアンブロカップが開催された。アンブロカップとは翌1996年にロンドンで開催されるUEFA欧州選手権のプレ大会として企画されたもので、第1戦から地元イングランドと日本代表が対戦する事になった。結果は敗退ではあったが、世界トップクラスのイングランドA代表チームを相手に1-2の善戦は大健闘だった。

6月03日 イングランド戦→1-2
6月06日 ブラジル戦→0-3
6月10日 スウェーデン戦→2-2

帰国後の8月からは各国の代表チームとの対戦が続いた。この時にオフト監督時代の代表メンバーが1人2人と外れていった。ラモス瑠偉もブラジル代表戦を最後に代表選手を事実上引退し、この時期に若手選手として新たに台頭していたのが秋田豊・名良橋晃・相馬直樹・前園真聖・岡野雅之・城彰二らであった。

8月06日 コスタリカ戦→3-0
8月09日 ブラジル戦→1-5
9月20日 パラグアイ戦→1-2
10月24日 サウジアラビア戦→2-1
10月28日 サウジアラビア戦→2-1

これでこの年の日本代表チームの試合日程は終了。加茂体制も1年でかなりしっかりした印象を残した所へ、いわゆる「ネルシーニョ事件」が起きる事になる。
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by wataridori21 | 2008-01-01 17:17


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