ネルシーニョ問題と加茂周監督の続投(1995年)

1995年11月、日本代表監督の続投問題が噴出した。

前年に川淵三郎から交代した日本サッカー協会の加藤久強化部長が、「加茂周監督では1997年のW杯・予選を通過できない」と判断し、1996年からヴェルディ川崎のネルシーニョ監督に交代する提案を打ち出した。

加藤強化部長の提案により、日本サッカー協会はヴェルディ川崎とネルシーニョ監督に、代表監督への就任を打診し、ネルシーニョ、川崎側も了承。これにより加茂周監督も退任を了承し自身は全日空サッカークラブ監督就任の内定も取り付けた。

しかし日本サッカー協会とネルシーニョ監督との交渉中に、年俸や条件面で折り合いがつかなくなってきた。当時の協会は財政難で、ネルシーニョの出した条件が受け入れる事が難しい事がはっきりしてきた。
ネルシーニョは就任に当たって本人の年俸、雇う数人のブラジル人スタッフの人件費、ホテルの宿泊費、車代と、全て合わせると、協会の出す費用ではとてもまかないきれない事が分かってきたのだ。

同じ頃、協会の長沼健会長は、1996年にFIFA(国際サッカー連盟)が予定している2002年W杯を日本に招致する為に世界各国を飛び回っていて、代表監督問題にはタッチしていなかった。その彼が暮れに帰国してきた所、問題がもはや抜き差しならない状態に発展してしまっていた為、長沼会長自ら裁定を下す事となった。

そして、最終的に長沼会長は加茂周監督の続投を決めた。ネルシーニョはヴェルディ川崎の監督を退任し、代表監督就任の用意に取り組んでいた為、結果的に職を失う事となってしまった。彼はマスコミを通じて「協会は腐ったミカンだ」と非難して、日本を去っていった。

紆余曲折の末、加茂周監督の続投で1996年を迎えることとなった。
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by wataridori21 | 2008-01-01 20:02


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