W杯2002年大会の日韓共同開催決定への流れ(1996年)

1996年、サッカー界における最大の話題は2002年のW杯の開催地を、日本と韓国のどちらにするか、であった。

もともと日本がW杯招致を打ち出したのは1986年。FIFA(国際サッカー連盟)で当時の会長を務めていたジョアン・アベランジェが、これまで南米・欧州で開催してきたW杯をアジア・アフリカで開催したい意向を持ち、日本に開催の意思があるかの打診をしてきた事から始まった。

もちろん協会側はすぐにでも手を挙げたかったが、しかし問題はスタジアムだった。予選は40000人、準決勝・決勝は60000人以上、全てのスタジアムの観客席の60%以上が屋根で覆われていなければならない、と規定があった。実際に作ろうとすれば数百億もの建設費が必要だった。
そこで協会は、日本全国の自治体に試合の開催が出来るスタジアムを建設する意思があるか打診したところ、20以上の希望する自治体が現れた。これにより協会は立候補を決意したのである。

1989年11月、日本サッカー協会はW杯開催国として正式に立候補し、同時に招致準備委員会を設置した。

1993年、半ば日本に決まりかけた頃、思わぬ事態が起きた。韓国も立候補を表明してきたのである。当時日本はW杯に1度も出場していなかったが、韓国はW杯に3度も出場していた。

これにより日本・韓国による招致合戦が行われた。当時日本サッカー協会の会長だった長沼健は1996年の開催地決定まで通算75万kmは飛んだという(長沼氏は「行き着く先でチョン・モンジュンさん(当時の大韓サッカー協会会長)に行き会った」と語っている)。

そして1996年5月、FIFAから日本に「日韓共同開催」の希望を打診し、協会側は文書で「それがFIFAの強い希望なら、日本としては検討する用意がある」と伝えた。これを見たFIFA幹部は「日本は共催にOKを出した」と判断した。

後になって、アベランジェ会長は日本単独開催を強く望んでいたが、欧州サッカー連盟を初め反アベランジェ派の関係者が共同開催で押し切った事が判明している。W杯開催地の駆け引きは、まさに政争の具そのものであった。

これによりW杯の日本・韓国による共同開催が決まった。
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by wataridori21 | 2008-01-01 20:51


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