W杯フランス大会・予選大会での攻防と「ジョホールバルの歓喜」と岡田武史監督の就任(1997年)

1997年はW杯フランス大会・予選の行われる年である。

2月にタイ・バンコクで開催されたキングスカップに出場した。相手はタイ・ルーマニア・スウェーデンで、この大会では前年にアトランタ五輪で活躍した前園真聖・川口能活が加入した。しかし前園は不調の連続でこの大会後に代表を外される事となる。

2月09日 タイ戦→1-1
2月11日 ルーマニア戦→1-1
2月13日 スウェーデン戦→0-1
2月16日 ルーマニア戦→2-0

そして3月、オマーンに移動しW杯フランス大会・1次予選に出場した。対戦相手はオマーン・マカオ・ネパールで、3勝1分0敗で。

3月23日 オマーン戦→1-0
3月25日 マカオ戦→10-0
3月27日 ネパール戦→6-0

6月、第18回キリンカップが開催された。相手はクロアチア代表・トルコ代表で2戦全勝で優勝を果たした。

6月08日 クロアチア戦→4-3
6月15日 トルコ戦→1-0

W杯・1次予選の後半戦が続き、5勝1分で最終予選進出を決めた。

6月22日 マカオ戦→10-0
6月25日 ネパール戦→3-0
6月28日 オマーン戦→1-1

そして9月、W杯・最終予選が始まった。ホーム&アウェーで2回戦総当りで1位となったチームがW杯・本戦に出場できる。

9月07日 ウズベキスタン戦→6-3
9月19日 UAE(アラブ首長国連邦)戦→0-0
9月28日 韓国戦→1-2
10月04日 カザフスタン戦→1-1

ここまでで1勝2分1敗となり崖っぷちの状況となった。この事から悪い流れを断ち切る必要に迫られた日本サッカー協会が動き、加茂周監督は更迭、岡田武史ヘッドコーチが監督に昇格となった。
監督交代が突然決まった為ビザの関係で日本から代わりの監督を送るとはいかず、岡田コーチの昇格という形を取ることになった。

10月11日 ウズベキスタン戦→1-1
10月26日 UAE戦→1-1
11月01日 韓国戦→2-0
11月08日 カザフスタン戦→5-1
11月16日 イラン戦→3-2

岡田武史監督に代わってからも2試合続けて引き分けとなったが、韓国戦から流れが大きく変わり2連勝で、マレーシアのジョホールバルで行われる最終戦のイラン戦を迎えた。
一進一退の攻防の末2-2のまま延長戦に突入、そして最後に途中出場の岡野雅之が決勝ゴールを決め、3-2で勝負がついた。これは後に「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれるようになった。

この時の様子を「FAIR PLAYの記憶」(フジテレビ製作)で、岡田武史氏が語っている。

「(延長戦で岡野雅之を投入した場面を振り返って)相手がベロンベロン、ヘベレケなわけ、暑さで。攻撃行ったらシュートまでいくわけよ、そのシュートを決めないわけよ、何回も何回も…ところが岡野はシュートを外すから、怖くなって逃げてパスしたわけですよ。

僕はいつも言うのは、ミスを怖がって腰が引けたりね、オドオドしながらサッカーするの大ッ嫌いだと。そんなサッカーで勝つくらいなら、俺は戦って死ぬのが断然いいと。『ここでビビるな』という気持ちがあったんだけど、でも最後はアイツが決めよったけどね(笑)

(予選通過が決まった瞬間について)ホッとしたよ、もう。もの凄く嬉しかったけど、我々の中では最低限のノルマを達成した安堵感があった。もの凄くプレッシャーがあったから。

試合終わって、みんなホテルに集まって、宴会なんか全くしなかった。『ちょっとビール出してやってくれ』ていって、ビール出して『あー、お疲れさん、良かったな』みんなホッとした感じで静かにビール1・2杯飲んで部屋に帰っていった。

ところが成田に着いたら、とんでもない大騒ぎになっていて『どうなってるんだ?』という感覚。ビックリした」


最終予選の最中に監督交代が断行されるなど混乱を極めたものの、これにより日本代表チームはW杯への初出場の権利を得たのである。
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by wataridori21 | 2008-01-02 00:01


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