2009年 07月 09日 ( 1 )

日本スキーの始まり(1910年)

日本にスキーが伝わった経緯は幾つかの諸説があるが、今回は実際に日本でスキーの技術指導を行ったテオドール・フォン・レルヒ少佐の話から始める。

1910年(明治44年)、当時日本は日露戦争(1904-05年)が終結したばかりで、大国・ロシアに勝利した小国・日本に、ヨーロッパ諸国は一斉に注目した。その中でオーストリア=ハンガリー帝国は日本の研究を目的に、テオドール・フォン・レルヒ少佐を日本に送り込んだ。

当時日本陸軍では、1902年に起きた八甲田雪中行軍遭難事件で多数の犠牲者を出した事から、雪中での移動手段としてスキー技術の知識を欲しがっていた。そこで来日してきたレルヒ少佐に、陸軍に対するスキー技術指導を願い出た。少佐は申し出に快諾し、新潟県高田(現在の上越市)にある高田歩兵第58連隊の指導にあたる事となった。

当時高田にあった第13師団の団長を務めていた長岡外史中将は、レルヒ少佐が高田に来るという知らせを受け、高田歩兵第58連隊の堀内文治郎連隊長に、スキーの研究を命じた。堀内連隊長は隊内の鶴見大尉を主任とし、スキー専修員を選出した。そして1910年12月25日、鶴見大尉は司令部に出頭した。

その時の模様を「日本スキー発達史」(著者・小川勝次)の中で鶴見氏がこう述懐している(以下、原文のまま抜粋)

(長岡師団長から)「君らはスキーという物を知っているか」と尋ねられた。即座に「知りません」と答えた。すると側の方を指して、「そこにあるのがスキーだ」といわれた。見れば長い狭い板ペラだ。何に使用するものだろうと、明石中尉と顔見合わせていると、師団長は微笑しながら「これは足に穿いて雪の上を滑って歩く道具だ」と説明された。そして「この使用を研究せよ」との命令である。

さらに「明年1月早々にレルヒというオースタリーの少佐が来て、スキー術を教えることになっている。それで、日本には昔からスキーがあって、このようにみんなうまいという事を示し、反対にレルヒに教えてやるくらいにまで研究せよ、使用法はこれに書いてある」と御機嫌極めてななめからずである。
使用法は仏語であって私には判らない。誰かに翻訳してもらいたいと申し出たところ、山口十八参謀を呼ばれてこれを命ぜられた。この翻訳が半紙4,5枚に謄写されたのはそれから2,3日後のことであったが、2人はこれを虎の巻として、明石中尉と2人、毎日師団司令部の庭に通って実地練習を行った。

冷たい雪の上を汗みどろになって、イッチニをやったがなかなか滑るどころではない、うまく歩く事もできない、坂を登ろうとすると後滑りして前にのめってしまう。一週間近くもやってみたがサッパリ要領を得ない。
ここに至りて予は遂に兜を脱いで「師団長に返納しようじゃないか」と明石中尉に相談したが、中尉は年も若いし元気だったので「もう2,3日やろう」ということになったが、帰りはいつも脚が棒のようになって股が上がらない。「大変なことになったなあ」と明石中尉を顧みるのであった。
予には大晦日も元日もなかった。まさに絶体絶命であるが、幾日やっても同じことを繰り返すのみで、なんら上達の見込みはなかった


そして明くる1911年1月12日、レルヒ少佐が高田に到着する日を向えた。
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by wataridori21 | 2009-07-09 05:38