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休止のお知らせ

いつも訪問して頂いている皆様、本当に有難うございます。

最近多忙で、どうしても更新が滞りがちになってしまいます。その為、暫くこのブログの更新を休ませていただく事としました。再開は8月下旬くらいを予定しています(都合が付いたらもう少し早めの復活もあるかもしれませんけれど)。

最近は、閲覧者がかなり増加してきていているので、休止しなければならないのはとても残念ですが、復活した際にはよろしくお願いします。
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by wataridori21 | 2007-05-17 08:27

野村克也監督(プロ野球・楽天イーグルス監督)

今年のプロ野球パリーグにおいて、思いのほか、東北楽天ゴールデンイーグルスの成績が良い。

今日(5/12)のオリックスバファローズ戦に勝利し、通算で16勝21敗1分となった。僕自身が楽天イーグルスファンではあるけれど、この好成績が(あくまで楽天にしては、と言う意味だが)本当に実力なのか、たまたまなのか分からないけれど、ともかく嬉しいね。

最近プロ野球で僕が楽しみにしているのは、試合後の野村克也監督のコメント。あえてここでは書かないが(知りたい方は、楽天イーグルス公式サイトに毎試合掲載されているのでこちらをどうぞ)、勝っても負けても野村監督の話は面白い。

Number584号(2003年9月18日発行)では、当時社会人野球のシダックス監督を務めていた野村監督の特集があった。都市対抗野球、シダックス対トヨタ自動車の試合前の様子が書かれている。(以下、原文のまま抜粋。著者は阿部珠樹氏)

「高校野球をテレビで見るとはなしに見ていて、『話のつまらなさ』にあらためてあきれた。特に監督の話。
『選手がよくやってくれました』とか『負けたのは私のミスです』とか、一見謙虚なことをいっているようだが、ベンチでの様子は正反対だ。足を組んであごで指示をだすなどあたりまえで、中には試合開始から終りまでダグアウトの最前列に仁王立ちし、腕組みしているツワモノもいる。
日本海海戦の東郷元師か。衣の下のよろいははっきり見えているのに、『選手がよくやってくれました』もないもんだ。
『野球は言葉のスポーツ』なんて本があるくらいで、『お話』は野球を彩り、新しい側面に光を当て、目を開かせてくれるはずなのに、『よくやってくれました』『私のミスでした』で終りでは、進歩も新しい側面もあったものではない。そうした貧弱な想像力がつくづくいやになり、野村節を聞きたくなったのだ」


阿部氏の軽快な記事も素晴らしいが、これから綴られる「野村節」も素晴らしい(以下、原文のまま抜粋)、

「『都市対抗なんて見たこともない。お客さんはどれくらい入るの。盛り上がるのかねえ。やっぱりオレの力じゃどうにもならん。長嶋を引っ張りださにゃあ』
『昔、あるコーチが、月に向って打てといったが、東京ドームじゃ、セコムに向って打て、だな』
セコムの看板で微笑むミスターを横目で見ながらそんなジャブを放つ。早くもフルスロットルである。『全然見たことない』などどいいながら、
『トーナメントだから、戦略というものが立てられん。戦術はあるけど』
大会の性質を見極め、それに準備怠りないことをさりげなくちらつかせる。うなずく若い記者たちを見ながら、ニヤリと笑う姿は、『不思議の国のアリス』に出てくるいたずらものの『チェシャーキャット(笑い猫)』を思わせる」


そしてトヨタ自動車に大差で勝利した後の談話(以下、原文のまま抜粋)

「『トーナメントでは、形に出ない流れと言うものもあるでしょう。1回戦を突破すれば、何かが現れてくるはず。つぎの試合も相手をしっかりデータ化して対策を立てたいね』
談話の表面だけを見れば『野村ID野球』の勝利ということになるだろう。つぎに対戦する相手は、当然この談話を耳にする。
『ウチは何から何まで分析されているのか』
何をやっても野村監督の術中にはまっているように見えてしまう。おそらくそこまで考えて、IDの効用を強調するのだろう。

『東京ドームの一塁側にはじめて入ったが、景色が悪いね。今年のジャイアンツが弱いからかな。大入り袋ももらいました。冥土の土産に持っていきます』

再来年古希を迎えるというのに、やたらと血色のよいチェシャーキャットは、そういって報道陣を煙に巻いた」


僕自身、ヤクルトスワローズや阪神タイガースの監督をしていた頃の野村監督はあまり好きではなかった。「野村ID野球」と言う言葉に、何かインチキくささを感じ、嫌っていたのである。
しかし今、30代を迎えた僕は、彼にとても親近感を感じている。それだけ僕も年を重ねて野村監督の人間的な部分に惹かれるようになってきたのだろうか。原辰徳・岡田彰布・落合博満といった下の世代の監督達よりも大きな魅力を感じるようになった。前任の田尾安志監督が解任され、直後に就任した時には反感さえあったはずなのに、自分でも不思議な気分だ。

野村監督はすでに今年で72歳。果たして来年・再来年まで続投するのか、今年限りで勇退するのかはまだ分からないけれど、今年の彼の言動にはこれからも注目していきたい。本当に楽しみにしている。
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by wataridori21 | 2007-05-12 20:32

本田武史氏(プロフィギュアスケーター)その2

フィギュアスケートの「プリンスアイスワールドツアー」が、全国各地で公演されている。

この「プリンスアイスワールド」は今年で30年目を迎えているのだが、年々出場するプロの顔ぶれが豪華になってきている。伊藤みどり、八木沼純子、佐藤有香といった歴代のスターに続き去年からはトリノ五輪・金メダリストの荒川静香氏が活躍している(僕自身、生観戦は未経験だが)。そして何と言っても男子プロの中で一際目立つ存在なのが本田武史氏。

本田氏は1990年代中頃から2005年まで、アマチュアのフィギュアスケート界日本選手No.1の実力者。ソルトレイク五輪でのSP(ショートプログラム)の素晴らしさ(FSを経た総合順位は4位)、直後の世界選手権での銅メダルは今でも語り草になっている、まさに男子フィギュアの花形選手だったのだ。

Number515号(2001年2月8日発行)では本田氏の特集が組まれていた。この1年後にソルトレイク五輪が開催されるのだが、それに向けての彼の心構えが書かれていた。
五輪でのSPは「ドン・キホーテ」、FS(フリースケーティング)は「アランフェス協奏曲」で、この記事ではプログラムの難しさについて彼自身が語っている。ライバルのアレクセイ・ヤグディン選手、エフゲニー・プルシェンコ選手についても説明していた。
そして最後に、五輪に向けての準備と、自らのスケート演技についての気持ちが語られていく(以下、原文のまま抜粋。著者は八木沼純子氏)、

―表現力、表現することって何だと思う?
「今のスケート界は、ジャンプを飛べば勝てるっていうものじゃないから…。結局、なんだかんだ言っても、アメリカのティモシー・ゲーブルが4回転を3つ降りても勝てない、って言うのは振り付けや人にアピールする部分が少ないっていうことじゃないかな。表現とジャンプの2つが合わされば…」

―長野オリンピックが終わって3年の間に色々な曲層で、色々なプログラムでやってきたわけだけれど、自分で何か探せた!?
「大きく変わったのはスローでも滑れるようになってきたことかな。それは自分の中で大きいな、と。もうどんな曲でも滑ることが出来るようになってきた。最後は自分の良いものだけを集めたものができれば…」

―それは、やはり色々な環境で滑ってきたというものも関係していますか。
「いろんな人に教わったり、その人達のコメントがあって今があると思う」

―1年後のソルトレイクでは何を目指す?
「今シーズン、ある程度世界の仲間入りをして、オリンピックではベストな状態でベストな演技をしたい」

―スケートをやっていなかったら何をしていたかな?
「たぶんスポーツはやっていたと思うけど、でもここまでは続いていなかった。だってサッカーとかもやっていたけれど、続かなくて。そこでスポーツを1つに絞ろうかなって思った時に選んだのが、スケートだった」

―それだけ特別な存在なわけですよね。
「運命です、…たぶん」


このインタビュー時、本田氏はまだ19歳。しかし記事全体を見渡しても、受け答えは20台後半の大人にしか感じられない。フィギュアスケーターは演技者である為に、精神的に円熟味が備わっていかないと勤まらない職業だ。しかしこれがティーンエイジャーなのかと驚かされる(これは現在の高橋大輔・織田信成両選手も全く同じ)。

この記事を読み終え、現在の本田氏の姿を思い浮かべると、何か感慨深いものを感じる。彼はもうプロであり指導者でもある。

もう一度、彼の全盛期の演技が観たい。今、心からそう思う。
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by wataridori21 | 2007-05-11 20:43

皆川賢太郎選手(アルペンスキー選手)その3

去年(2006年)のトリノ五輪・スラロームで4位入賞の快挙を成し遂げたのは皆川賢太郎選手。

残念ながら2006/07シーズンは12月に右膝前十字靭帯損傷の大怪我の為に不本意な成績となってしまったが、2000年代において、男子アルペンスキー競技のエースは紛れもなく彼である。

Number514号(2001年1月25日発行)では皆川選手の特集が組まれていた(著者は松尾潤氏)。
北照高校3年の時に世界ジュニア選手権(16~19歳が対象)に出場し5位に入賞したのだが、皆川選手自身は、同大会に出場していた同世代の海外選手達に衝撃を受けたという(以下、原文のまま抜粋)、

「1位、ベンジャミン・ライヒ(オーストリア)、2位、ライナー・ショーンフェルダー(オーストリア)、4位、カレ・パランダー(フィンランド)。
彼らはアルベルト・トンバ(イタリア)ら当時のトップ選手のテクニックとは異質のテクニックを模索していた。それは、ターンの切り替え時に出来るだけスキーを振らずに、膝を返すことで切り替え時間を短縮しながら直線的にポールを狙うテクニックだった。
『同世代の選手が、ここまでスキーを考えていることがショックだった。当時の僕はオーソドックスなテクニックの完成度が高かったから5位に入れたけど、こいつらの時代が来ると直感した』」


1997年から参戦したW杯では、前述した海外選手がタイトルを独占し、皆川選手はなかなか上位に進出できなかったが、時は変わり2000年1月オーストリア・キッツビューエルで開催されたW杯で見事に6位入賞を果たす(以下、原文のまま抜粋)、

「『ゴールした時は自分の滑りを表現出来たと感じた。ワールドカップはセルフコントロールをもっと完璧にしないと通用しないシビアな世界。上に行けば行くほど細かい準備が必要になってくることが判った。こういう世界が面白いとも思った』
トップ選手が躊躇するなか、168cmのカービングスキーを選択し、テクニックを突き詰めてきた皆川の正しさが実証された。99/00シーズンは2度の6位入賞を果たし、回転の種目別ランキング30位を獲得。『21世紀最初のエース』という期待を受けるのに相応しい選手に成長した。00/01年シーズンの目標は第1シード入り。第2戦セストリエール(イタリア)では3度目の6位入賞。完走すれば確実に30位以内に入賞する自信を持っている」


当時は、国際大会でのカービングスキー全盛期に入る時期であり、この記事の後にはスキーの短小化が進んで行く時代に突入していくのだが、アルペンスキー競技ファンからすれば「もの凄く懐かしい時代」の記事と言っていいだろう。
そして何よりも、皆川選手が、ジュニア時代から世界トップレベルの選手に成長していく様を思い返すにあたり、とても興味深い記事であった。

来季はどんなシーズンとなるのか、今から待ち遠しい♪
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by wataridori21 | 2007-05-09 21:20

朝青龍関(力士・第68代横綱)

4/13から両国国技館にて、大相撲夏場所が始まる。

先日、大関・栃東関が引退を表明して話題となったが、今場所も横綱・朝青龍関が中心となるだろう。場所前から出稽古で力士1人を怪我させるなど、良くも悪くも話題を振りまいている。

朝青龍関はご存知モンゴル出身で、16歳の時にモンゴル相撲ジュニアクラスチャンピオンとなり、それがきっかけで日本の明徳義塾高校に入学、同校相撲部に所属し1998年インターハイで3位入賞。99年に若松部屋に入門、同年初場所で初土俵するとそれから僅か10場所で新十両に昇格、2001年初場所から幕内入りとなった。

Number514号(2001年1月25日発行)では番付発表直後の記事が掲載されていた(以下、原文のまま抜粋。著者は江刺卓氏)、

「『最高の男達に負けない体を作ってぶつかりたい』と堂々と抱負を述べる朝青龍から自信が漲り溢れていた。
1年半前、序二段時代に部屋の近くで食事をした時は、控えめな口振りだったが、当時よりも体重が20kg以上増え、体も語り口もすっかり変わっていた。一番大きな変化は何?と尋ねると、『もうチャンコ番をやらなくてもいいし、モンゴルでもテレビに映るようになったからね』と茶目っ気たっぷりに答える。
相手を一気に押し出す爽やかな取り口に、勝った後、どうだと言わんばかりの立ち振る舞いは、すでに風格すら感じられ、とても20歳の力士とは思えない。
21世紀の角界を担う新星は、800年の時を超えてやってきた『蒼き狼』だ」


江刺氏も、この「蒼き狼」がその後横綱まで上り詰める事は予想出来ても、まさか現在の「大横綱」になるとは想像してはいなかっただろう。いまや大相撲ファンならずとも、この日本において「朝青龍」の名前を知らない者は殆どいない。

すでに優勝回数は20回。
現在の所、彼の右に出るものはいない、まさに無敵の横綱だね。
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by wataridori21 | 2007-05-08 22:20

イチロー選手(メジャーリーグ選手)

シアトルマリナーズのイチロー選手が今年で大リーグ7年目を迎えた。

残念ながら今回のニューヨーク・ヤンキース戦では4打数無安打となり打率は3割を切ってしまったが、相手投手が昨年(2006年)に19勝を挙げた王建民投手だっただけに仕方がないか…

しかしイチロー選手、去年まででメジャー移籍後6年連続3割を記録し、04年にはメジャーでのシーズン最多安打新記録を打ち立てるなど、まさにスーパーマン的な活躍を続けていることには今更ながら驚かされる。いったいどこまで凄くなっていくんだろう…

彼が日本プロ野球のオリックスブルーウェーブ(現オリックスバファローズ)で最後のシーズンを過ごしたのは2000年。当時彼は、あと1年プレーすればFA権を取る事が出来たが、ポスティング制度を利用してのメジャー移籍が半ば決まっている状態だった(移籍先はまだ決まっていなかったが)。
その時は、まだ日本人野手ではメジャーリーグでプレーした選手がいなかったので、「イチローといえども、メジャーで3割は難しいんじゃないか?」との憶測も1部で流れていた。しかし、やはり大半のプロ野球ファンは彼ならかなりいい線いくんじゃないか…、と期待は大きかった。「天才打者・イチロー」ならきっとやれる、と。
当時のNumber509号(2000年11月19日発行)ではイチロー選手の特集が掲載されていた(以下、原文のまま抜粋。著者は石田雄太氏)、

「『天才、言うなっ』
テレビを見ていたイチローが突然、画面に向ってそう呟いたことがあった。彼のことが語られる時には、当たり前のように『天才』という冠が被せられる。しかし彼は、自分自身のことを天才だとは思っていない。
『別に、そうは思わないですね。それだけのことをやってきたわけですから』
イチローがサラッと言ってのけた「それだけのこと」――この言葉に詰め込まれた深い思い。野球に関しては、子供の頃から誰とも比べることもできないほど別の次元で練習を重ねてきた。イチローにしてみれば、そんな日々を、天才という一言で安易に括られることに違和感を覚えるのだろう。練習量と質を問い続け、己を鍛えて、技を磨き抜いた現代の最高傑作、イチロー」


以前、イチロー選手は、どこかの雑誌で「自分の好きな言葉は『継続は力なり』です」と語った事がある。その『継続』の延長が日本での7年連続首位打者であり、アメリカでの6年連続3割なのだろう、本当に頭が下がる。

今後、彼がどこまで進化していくのか、僕自身とても楽しみにしている。
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by wataridori21 | 2007-05-08 00:33

権藤博氏(元プロ野球・横浜ベイスターズ監督)

「秘めたる力」が遂に開花したのか、今年のプロ野球・セリーグでは横浜ベイスターズが快進撃を続け、GWを終えた現在(5/7)、17勝12敗で2位をキープしている。

横浜は去年までの5年間で4度の最下位に低迷していた。だが実は9年前、1998年には日本一になっているチームでもあるのだが、その時に監督を務めていたのは権藤博氏だった。

権藤氏は現役時代には1年目から2年連続30勝を記録した大投手(その時の投げ過ぎが元で現役生活は僅か8年)で、引退後は中日・近鉄・ダイエー・横浜の投手コーチを歴任し数々の名投手を育成し、1997年暮れに、横浜監督に就任。
管理野球を真っ向から否定する独特の方針を打ち出し、異色の存在として当時マスコミの注目を集めていた。そしてシーズンに入ると、何と1年目にして38年ぶりにセリーグを制覇・日本一まで登り詰めてしまった。本当に、まさか、まさかの日本一だった。

しかしその2年後(2000年)に辞任となった(その年まで同チームは4年連続でAクラスを守る球団史上初の快挙を達成していたのだが)。辞任した直後、Number509号(2000年11月16日発行)で権藤氏のインタビュー記事が掲載されていた。この記事には、自身の監督生活についての感想が書かれていた。(以下、原文のまま抜粋。著者は永谷修氏)、

「『ただ人と同じことをやりたくない、人に負けたくない、ということでやってきたと思う。ありきたりのことならば、僕じゃなくても誰だってやれる。自分のやりたいことを思い切ってやった。僕は練習でも余計な話をしない。黙って見ていることで、野手の動きや状態を見極める、それが自分の役目だと思っていた。
選手達には"お前たちに簡単になめられてはたまりませんよ"といつも思って、相手ベンチと戦っているのと同時に自分の選手とも戦っていた。
監督と言うのは自分にとって最後の夢だと思っていた。だけど、夢と現実が一致していないとやっぱり駄目だなとも思った。夢と言うのは優勝しようということ。監督イコール夢、というのは、つまり優勝なんですよ。でも、辞めてみて、やっぱり監督と言うのは居心地のいいものだったと思った。今まで居心地なんて考えた事もなかったのにね』

旧態依然とした球界に、権藤は間違いなく新しい風を吹き込んだ。ローズが翌日帰国という最後の夜、ナイン達が横浜に集まって、別れを惜しんでいた。誰からともなく、監督を呼ぼうという話になった。駆けつけた権藤も珍しく能弁になった。それは空が白むまで続いた。ローズが言った。『グッドラック、プロとして楽しい時間を過ごせたよ』
人が、その立場を追われる時、それを惜しんで、どれだけの人間が本気で悲しんでくれるかで価値が決まるという。別れを惜しんで泣いてくれたナインがいたというのが最大の誇りだという権藤の残した真価は、あるいは、来季以降にわかるのではないだろうか」


今年の横浜ベイスターズの好成績を見ていたら、ふと権藤元監督を思い出したので書いてみた。あの頃とはチームカラーは大分違うけれど、今年は是非頑張って欲しいね。
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by wataridori21 | 2007-05-07 19:58

ミシェル・クワン選手(フィギュアスケート選手)

先日の世界選手権で優勝したのは日本の安藤美姫選手だったが、その世界選手権で通算5度の優勝を勝ち取った選手がいる、それはミシェル・クワン選手(Michelle Kwan)である。

今年7月に27歳を迎える彼女の実績は、現役の女子選手のなかでも突出しているのだが、実績云々より世界中のフィギュアスケートファンの間で高い人気を誇っている。
長野五輪では、ノーミスでありながら際どい採点により、タラ・リピンスキー選手に金メダルが渡ったが「私は金を失ったのではない。銀を手に入れたのだ」との名言を語り、フィギュアファンから絶大な人気を得る事となった。
その4年後のソルトレイク五輪では、サラ・ヒューズ選手、サーシャ・コーエン選手、イリーナ・スルツカヤ選手といった名選手達とのハイレベルな優勝争いの末に銅メダルを獲得している。
おそらく何十年先までも語り継がれる名選手となるだろう

スポーツ雑誌「Number587号」(2003年10/30)を読んでいたら、クワン選手の記事が掲載されていた。当時彼女は、世界選手権で5度目の金メダルを獲得したばかりだったが、2度のオリンピックで金メダルを逃した事について、次のように語っている。すこし長いけれど、是非読んでみて欲しい(以下、原文を1部省略した上で抜粋)、

「1つ学んだのは、五輪チャンピオンになれなくても素晴らしい人生を続けていけると言う事。人生に不満がある時、五輪で優勝さえすればすべてうまくいくと思いがちだけれど、それは違う。金メダルに大きな犠牲が伴う事だってある。私は金メダルは逃したけれど、その他の人生は充実している。とても幸せな環境にいると思うわ。

スケートは、自分探しの手段のようなもの。同じ状況というのは、二度とやってこないの。今季学んだ事は、来季には使えない。何か新しい課題が絶対に目の前に現れてくるから。その時に自分がどう対応するか、それは常にチャレンジで、尽きる事がないんです。

もし、と言う状況を想定するのは難しい。でも自分の中では、五輪で優勝してもチャレンジを続けていただろうと思う。またそういう人間でありたいと思っています。もちろん五輪は特別なものよ。全てのスポーツの代表が集まる祭典だから。でもそれと同時に、五輪の6分半(SP2分半、フリー4分)がその選手の人生のすべてを語ってくれるわけではないと言う事も学びました。

(当時在籍していたUCLAについて)国際情勢を学ぶ事は、トリプルルッツを失敗してもこの世の終りではないという健全なバランス感覚を私に与えてくれる。世界全体から見ると、私達スケーターは砂粒のように小さな存在。でもスポーツはスポーツであると同時に、エンターテイメントでもあると思うの。外の世界がいくら緊迫していても、スケートを見てる間だけは心が安らぎ、人々が和む。そんな存在でいたいと思う」

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by wataridori21 | 2007-05-04 20:47

フィギュアスケート JAPAN OPEN 2007 その3

続いて女子選手を見てみる。

先日の欧州選手権・銅メダリストのキーラ・コルピ選手(スイス)、曲は「ファンタジア」。
残念ながらコンビネーションジャンプを立て続けに失敗してしまったが、スパイラルシークエンス、コンビネーションスピンはとても綺麗、そして後半のコンビネーションジャンプは成功、3ループ-2トゥループ-ループ、3サルコウ-2トゥループは良かった、これからが楽しみな選手。

トリノ五輪5位のジョアニー・ロシェット選手(カナダ)、曲は「ドン・ファン」。
最初のコンビネーションジャンプ、3フリップ-2トゥループ-2ループはとても綺麗、その後はジャンプでの失敗があり残念なところもあったが、彼女の演技は全体的にしなやかでありながらもパワフルでスピード感がある。トリノ以来はグランプリシリーズで地元で開催のスケートカナダでの優勝を除き不本意な成績が続いている。来シーズンは頑張って欲しいね。

先日の世界選手権・銀メダリストの浅田真央選手(日本)、曲は「チャルダッシュ」。
もうすっかりお馴染みの、ステップからの3アクセルを見事に決め、連続するコンビネーションジャンプ、リズミカルなストレートラインステップ、スピード感のあるコンビネーションスピン、スパイラルシークエンス、後半には疲れから来ていると思われるミスが幾つかあり、精彩を欠いた事は確かだったが、やはりハイレベルな演技である事は間違いない。
しかし観る度に、彼女は背丈が伸びているように見える。これについては彼女自身、調整が大変なんだろうな…

先日の欧州選手権・銀メダリストのサラ・マイアー選手(スイス)、曲はメドレー「プライドと偏見」「菊次郎の夏」。
連続するコンビネーションジャンプ、綺麗に決まるコンビネーションスピン。彼女については、長身から繰り出すスピード感と優雅さのあるコンビネーションスピンが良い。失敗は幾つかあり本人も不本意な表情ではあったが、やはり欧州勢の実力者としての演技を見せてくれた。

去年の世界選手権・金メダリストのキミー・マイズナー選手(アメリカ)、曲は「ガリシア(Galicia)」。
前半からミスの連続が続き、なかなか良いところが出てこない。ジャンプ・スピン・スパイラルといい、う~ん、良いところを書きたいんだけどね…、と言うより今シーズンはなかなか思うような成績が残せていない。去年のような自信に満ちた演技が復活する事を期待したい。

先日の世界選手権・金メダリストの安藤美姫選手(日本)、曲は「バイオリン協奏曲第1楽章/メンデルスゾーン」。
4回転サルコウは今回も封印したが、コンビネーションジャンプ、コンビネーションスピン、スパイラルシークエンス、ストレートラインステップ。1度のジャンプ転倒を除けば完璧な演技、まさに女王としての貫禄をみせてくれた。世界選手権・金メダルの実績が自信を持たせているのだろう、本当に素晴らしい演技だったね。

まあ、演技が全て終了した時点でどこが優勝なのかは、点数を見なくても分かる。
ジャパンオープン2007は日本の2連覇となった。

これでフィギュアスケートの今シーズンは全て終了。
選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。
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by wataridori21 | 2007-05-03 19:48

フィギュアスケート JAPAN OPEN 2007 その2

ではまずは男子の演技から見てみる。

ソルトレイク五輪・金メダリストのアレクセイ・ヤグディン氏(ロシア)、曲は「グラディエーター」。
かつて男子フィギュアスケート界の王者だったのだが、難病により早期の引退を余儀なくされた。プロ転向からかなりの年月が経ち、全盛期の演技とまではいかなかったが、コンビネーションジャンプやストレートラインステップシークエンスの鮮やかさはさすがだった。演技終了後に観客席では涙ぐむ女性も映っていた、かつての姿を知る熱烈なファンらしい。まあ、テーマ曲からしても気持ちは分かる。

去年のNHK杯で3位だった小塚崇彦選手(日本)、曲は「ピアノ協奏曲/ショパン」。
コンビネーションジャンプやステップワークは素晴らしい(1度のジャンプ転倒はあったが)。来年の世界選手権では日本男子勢は3人まで出場枠があるだけに、中庭健介・南里康晴両選手を相手にどこまで健闘出来るのか、いまから楽しみにしている。

1996年世界選手権・金メダリストのトッド・エルドリッチ氏(アメリカ)、曲は「カジノロワイアル」。
多彩なコンビネーションジャンプは圧巻で、とても35歳のベテランとは思えない、素晴らしい演技だった。解説の佐藤有香氏は「エルドリッチ選手は、私、猫みたいだと思うんです。(ジャンプした際)どんなに斜めになっていても(綺麗に)降りるんです。これは素晴らしい、反射神経というかバランスが良いというか、何とも言えない才能です」と語った。

トリノ五輪・銅メダリストのジェフリー・バトル選手(カナダ)、曲は「アララトの聖母」。
さすがに世界選手権からまだ1ヶ月と言う事もあり、スピード感のある演技、そしてコンビネーションジャンプの精度はお見事、イナバウアーから3サルコウでは観客から歓声があがった。テーマ自体が途中から変化していく曲であり、ジャンプからスピン、連続するステップ、へのリズミカルな変化は楽しい。解説の佐藤有香氏は「こういった、流れに変化をつけながら滑っていく、こういったあたりは持ち味ですよね」

去年のグランプリファイナル3位の織田信成選手(日本)、曲は「ミッション・インポッシブル」。
やはりジャンプの鮮やかさは素晴らしく、3アクセル-3トゥループ-3ループの大技を見せるなど(この選手は、とにかく体の柔軟性が群を抜いている)高頻度の演技を見せてくれた。先日の世界選手権では、本人としては不本意な成績だったかもしれないが、シニアデビューからまだそれ程経過しておらず、これから大舞台で場数を踏めば必ず高橋大輔選手と肩を並べる事が出来る筈だ。

先日の世界選手権・金メダリストのブライアン・ジュベール選手(フランス)、曲は「ナッシング・エルス・マター」。
いきなりの4トゥループ、そこからサーキュラーステップ、コンビネーションジャンプ、コンビネーションスピン、1度のジャンプ失敗があるなど、世界各国でのエキシビションツアーの疲れがあったようで精彩を欠いていたように見えた。しかしストレートラインステップは見事だったね。この選手はこれから追われる立場になるだけに、今後に期待したい。
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by wataridori21 | 2007-05-03 18:39