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高田裕司さん(元レスリング日本代表選手)

1980年に開催されたモスクワ五輪に、日本は出場しなかった。

当時世の中は米ソ冷戦真っ只中であり、その中でソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻した事がアメリカ・西ヨーロッパ諸国の非難を呼び、アメリカをはじめ多くの国々がボイコット運動を展開。そして日本もアメリカに追随する形で不参加を決めた。
この大会に参加予定だった日本選手団は記者会見を開き、無念の会見を行った。その中にいたのが当時レスリング日本代表に選ばれていた高田裕司選手。
高田選手はそれまで1976年モントリオール五輪で金メダル、更に1970年代に開催された世界選手権で4度の優勝、1978年アジア競技大会でも優勝と、このモスクワでは最も油の乗り切った時期だった。それだけにこの不参加は無念だったに違いなく、会見では柔道の山下泰裕選手とともに涙を流した。

1984年発行のNumber103で、高田選手本人がその時の事を語っている(以下、原文のまま抜粋。著者は小林信也氏)

「オレはね、『積木くずし』だよ。あれで全部計算が狂っちまった。モスクワがオレの最後の舞台になるはずだった。どうやってマットにお別れしようかって考えてね、よし、金メダルを獲ったらマットにキスして現役を去ろう…と。引退後はアメリカに留学して、コーチ修行をすることになってた。それが全部、無しになっちゃったんだからね」

その後、引退し3年間少年チームのコーチしていたが、1983年に現役復帰。選考試合を経て1984年のロサンゼルス五輪に出場権を獲得。

「モントリオールの時は責任感が重たくて、正直勝ててホッとしただけ。まだ若かった(22歳)から、モスクワも当然という雰囲気だった。でも今度は…。
日本の為?バカいうんじゃないよ。誰が日本の為になんか戦うもんか。自分の為、そう、自己満足のためでしかない。日の丸のついたユニフォーム着るのだって本当はイヤだ。ムカムカする。
モスクワまではね、日本の為に頑張ろうって気もあったよ。オレ、『日本人』だしね。外国で日の丸の旗を見るっての特別な気分なんだ。あれを経験すると忘れられないね。でもオレ、結局、日本や協会に裏切られたんだからな。もうそんな気はないよ。

今は、ロスが終わったら何をやろうかって、そればかり考えてる。

オレ、常に全力で燃えてないと気がすまない性質だ。仕事は高校の教員。今、教員になるのは難しいから、幸せだと思うよ。けど、つまらない仕事だね。ほら、最近の先生は共産党ばっかりだろ。半分はそうだもん。職員会議で『卒業式で国旗と君が代はどうするか』なんて激論する。日の丸の何がいけないっていうんだ。
ボクら日体大を卒業して、ずっと体育一本で来た運動バカだからね、ハッキリ言って右翼ですよ。もし戦争が始まったら、鉄砲担いで戦いますよ、真っ先にね。それが他の先生ときたら…。だから、先生って職業に執着はないんだ。
ねたみもスゴイしさ。オレに直接言えばいいのに、レスリング部の生徒にいやがらせする。テストで頑張っても、赤点しかくれなかったりとかさ。せこい世界だよ。
自分で商売やりたいなあ。その方が、賭けてるって実感があるじゃない。

若い選手を育てる事?興味ないね。オリンピックがこんな状況なのに、どうやって選手をその気にさせるんだい。世界選手権なんてダメ、オリンピックは特別なんだ。素晴らしい舞台がもう無いのに、選手に『厳しい練習に耐えろ!減量で苦しめ!』なんて言えないよ。だから教える気もしない。

ロスは正真正銘、オレの最後の舞台だ。負けたって別にかまやしない。一週間も家に隠れて寝てればいいだけの話さ。まあ、できれば金メダルを獲って、マットにキスして、それから、マットの上で大の字に寝転んでやりたいね」


一見全てに投げやりな言葉を投げ続けているように感じられるが、その後彼は、見事にロス五輪で銅メダルを獲得した。

更にそれでは終わらず、今度は山梨学院大学の教授に就任し、同大レスリング部監督、そして日本レスリング協会専務理事、日本オリンピアンズ協会の監事を歴任。 現在は日本総合格闘技協会の理事長に就き、日本格闘技界の重鎮として活躍を続けている。
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by wataridori21 | 2009-07-07 20:29

笠谷幸生さん(元ノルディックスキー・ジャンプ競技選手)

かつて1972年に日本の札幌で冬季五輪が開催された。

その札幌五輪で一際話題をさらったのが、いわゆる「日の丸飛行隊」。ノルディックスキー・ジャンプ競技で日本人3人による金・銀・銅を独占した。笠谷幸生選手・金野昭次選手・青地清二選手が表彰台に並んだ姿は、今でも冬季五輪シーズンになると必ずと言っていいほどテレビで放送されている。

今回は「日の丸飛行隊長」笠谷幸生さんについて取り上げる。

笠谷氏は現在、サッポロノルディックスキークラブに所属し、札幌スキー連盟副会長を務めている。ここでは1984年に発行されたNumber103号での彼に関する特集記事での事。
当時はニッカウヰスキー株式会社(現在はアサヒビールの子会社)の販売促進課長を務める傍らナショナルチームのコーチをしていた。記事の中で彼のオリンピックについての思いを話す(以下、原文のまま抜粋。著者は佐々木譲氏)

「オリンピックの勝利というのは全然意味が違います。ぼくの名前がまだ金メダルを取ったって事で覚えられていますからね。ただ、それも15年で消えますね。栄光なんて片っ端から消えていきますよ。いま高校生のジャンプの選手なんか、札幌オリンピックを知らないって子がいるものね。ぼくの名前を覚えてもらえてるのも、あと何年もありませんよ。ただ4年にいっぺんくらい、オリンピックイヤーにだけはちょっと思い出してもらえるかもしれないですね。

そしてジャンプ競技についてこう語った。

「ぼくは本当は意気地がないんですよ。でもジャンプなら、1秒、いや、3秒我慢すればいい。だから飛べたんです。ジャンプって短い時間集中できればいい競技ですからね。

ジャンプって目立つ事の好きな人がやっているんじゃないでしょうか。目立ちたくて、その為にみんな努力するんだから。
ぼくなど、観客は多いほうが良いですよ。札幌オリンピックのときも、まわりのガヤガヤがあって乗せられたってところもありました。でなけりゃ勝ってないでしょうね。みなさんの念力で飛べたんじゃないですか」


そして最後にこう締めくくった。

「スキーは好きですからね。ジャンプ、いいですよね。ロマンがあります。たかがジャンプ、されど…、というところでしょうかね」

言葉に一つ一つに、スポーツマンらしい爽やかな雰囲気が感じられた、元五輪金メダリストの言葉だった。
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by wataridori21 | 2009-07-06 21:12

荒川静香プロ(プロフィギュアスケーター)

フィギュアスケート・グランプリシリーズも中盤を迎えている。

ベテランも若手も様々なプログラムを披露し、それぞれ趣向を凝らした演技を見せてくれるので、僕自身、週末のテレビ中継を観るのが本当に楽しみだ。

それにしても今年は、男女共にどの選手も演技力に磨きが掛かっている。それまでの、どちらかといえば「スポーツ的な部分」でのレベルアップはもちろんだけど、演技をする上での美しさ、優雅さ、鮮やかさが、より求められる時代になった。
「ジャンプさえレベルが高ければ」の時代から、本来のフィギュアスケートの醍醐味である、「観る側を、美しさで感動させる」演技が強く求められてきている。

これからトップの地位につく為には、「スポーツ選手」と「役者」を同居させた選手になる事を、求められていくだろう。

Number642(2005年12月15日号)では、当時現役だった荒川静香選手の特集記事が組まれていた。2005-06年シーズンのGPSでのエリック・ボンパール杯で総合3位に終り、ファイナルへの出場が微妙な状況となった時点(その後ファイナルへは進出できなかったが、五輪出場権を得て、トリノ五輪で金メダルを獲得している)でのインタビュー記事。フリーの「幻想即興曲」(後にこれはショートに、フリーは「トゥーランドット」に変更された)でトリプル・トリプルが成功した話に及んだ時、彼女はこう語った(以下、原文のまま抜粋、著者は宇都宮直子氏)、

「昔、佐藤有香さんに『前だけじゃなくて、後姿も大事なんだよ』って、教えてもらったんです。最初は『え、背中?」って思ったんですよ、私は踊らないことで有名だったので。でも、それからは背中での表現も意識するようになりました」

スケーターは、会場での演技中は、常に視界360度全ての観衆を意識して演技している。テレビではよく分からないけれど、実際に会場で生観戦すれば本当によく分かる、それこそ一番奥の立ち見席ですら、スケーターのいろんな表情を感じ取る事が出来る。
彼らの演技する感覚は、言ってみれば舞台俳優のそれと同じではないかと思う。会場では、スケーターを正面から見るだけでなく、横からの姿、後ろ姿も、どの客席からもよく見える。そして演技者はその観衆の視線を常に意識しながら演じ続けるのだ。


僕もまだフィギュアスケート競技を見始めたばかりの頃は、フィギュアスケーターを「スポーツ競技者」としてしか見ていなかった。けれども、観戦の回数を重ねる毎に、スポーツ的に見る視点だけでは、この競技を、本当の意味で堪能することは難しいと思うようになった。採点方式とか、順位とかにばかりこだわりすぎると、本当の醍醐味は見えてこなくなる。

最近はフィギュアスケートを「競技」として観るよりも、舞台を見るような感覚で観戦するようになった。いや、「観戦する」ではなくて、「観賞する」といったほうが良いかもしれない。演じるスケーターの美しさばかりを追い求めるようになってきた。現在は僕自身、競技会である事はわかっているのだが、本音では順位はどうでも良くなってきている。


フィギュアスケーターの演技は本当に美しい。そしてフィギュアスケートは本当に素晴らしいスポーツだ。最近、しみじみと、そう思う。
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by wataridori21 | 2007-11-23 00:15

社会人野球とオリンピック

報道ステーションにて、北京五輪・野球アジア予選に出場予定の日本代表チームと社会人野球・近畿選抜チームとの練習試合の模様が放送された。

アジア予選は、決勝リーグが12月1日から3日まで台湾で開催される事となっている。
今日(11月6日)はようやく本格的に始動した代表チーム(通称・星野ジャパン)が、実践経験を積む為に、兵庫県神戸市のスカイマークスタジアムで社会人野球の近畿選抜チームと練習試合を行った。4番の新井貴浩選手(広島)が3安打2打点。先発の涌井秀章投手(西武)が4回無失点、藤川球児投手(阪神)も3者連続三振と順調な仕上がりで、試合は9-0となり、幸先よいスタートといえる。

まあ、練習試合はいいとして、僕自身としては相手の社会人選抜チームの事が気になった。

僕は古いタイプの人間なので、アマチュアの祭典であるオリンピックで、プロ野球選手ばかりで固めたチームがメダルを掛けて戦う…どうしても違和感を感じずにはいられなかった。

相手の社会人野球の選手達はどんな気持ちで戦っていたのだろう。本来なら自分達の桧舞台であるはずの五輪の試合に、自分達が出られず、プロの人達が出場する現実に、どこかやりきれない気持ちがあったのではないか。

もちろんプロが出なければ、五輪の本戦はおろか予選ですら勝つのが難しい、というのは分かっている。でもアマチュア選手が最終的に目指すのは、本来はオリンピックの舞台だったのではなかったか。

Number611(2004年9月30日)にアマチュア野球に関する特集記事があった。
この記事には、住友金属の選手・監督として活躍し、ソウル五輪代表監督も務めた、日体大野球部の筒井大助監督が登場していた。

筒井監督は、現在の社会人野球の状況を詳しく話した。次々と廃部していく社会人野球チームの事も気がかりだけれど、何よりも問題になっているのが社内における野球部員の立場。
一昔前は社員として社業と野球の両方を担っていた部員が、現在では「野球のみ」の契約社員として雇用され、部員と一般社員との距離が離れていく現状、「当然、同僚たちの応援など、あるわけもない」と語る。

そしてプロとアマの関係については、こう話した、(以下、原文のまま抜粋。著者は矢崎良一氏)

「五輪代表チームにしても、プロに"来てもらう""戦ってもらう"という形。イベントもプロにお金を払って"来てもらう"そんなの間違ってるんです。だって、プロがアマの恩恵を一番受けているのだから。もっとプロが能動的に、アマに何かを"する"のが筋。だってアマが育たなければプロも傾くんですよ。アマという畑が荒れれば、その畑で育つ果実であるプロがどうなるか……。それがわかっているプロの人が何人いるんですかね?」

来年の北京五輪を最後に、オリンピックでの野球競技は消滅する。その、最後の舞台にアマチュア選手が立てない現状に、僕自身、どうしてもやりきれない気持ちがある。

かつて「ミスターアマチュア野球」と称えられた杉浦正則投手が活躍したバルセロナ五輪、松中信彦(現ソフトバンク)・福留孝介(現中日)らが活躍したアトランタ五輪はもう遠い昔になった。IBAFワールドカップ(WBCではなくて、戦前から続く野球の世界大会)ですら、プロに「来てもらう」現状もあるし…

星野仙一監督ばかりがクローズアップされているけれど、最後の五輪での野球競技が、このようにさらりと流れていく。その中で、今日の練習試合で、はつらつと活躍するプロ選手の影で、うなだれる社会人選抜の選手達の姿に、大きな寂しさを感じた。
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by wataridori21 | 2007-11-07 00:41

中村紀洋選手(プロ野球・中日ドラゴンズ内野手)

本日、プロ野球・日本シリーズで中日ドラゴンズが53年ぶりの日本一を決めた。

このシリーズで見事にMVPを獲得したのは中日の中村紀洋選手。プロ16年目の今年は彼にとっておそらく生涯忘れられない1年だったに違いない。

去年(2006年)暮れに、当時在籍していたオリックス・バファローズでの年俸問題でチームを退団した際、多くのマスコミから凄まじいバッシングを浴び、プロ野球人生が潰えてしまうのではないか?と心配される状態になった。移籍先を探すも、どこも高額年俸や素行面の悪さ(あくまでマスコミが書きたてた虚像ではあったが)から獲得に動く球団がなかなか現れない。
そこに救いの手を差し伸べたのがドラゴンズの落合博満監督。テスト生を経て今年2月に育成選手として入団、そして3月に支配下選手登録された。年俸は600万(推定)、まさに崖っぷちからのドラゴンズ入団だった。

そこからの活躍は周知の通り。途中、故障による戦線離脱もあったが3塁の定位置を獲得し、クリーンアップの一角として大活躍を遂げた。

そして今回のシリーズMVP獲得…本人にとって、まさに激動のシーズンだったに違いない。

Number677号(2007年5月10日発行)に中村選手の特集記事が掲載されていた。ドラゴンズ入団から3ヶ月が経過し、ようやくチームの主力として認められてきた時期の記事である。

バファローズ時代に金髪・髭面だった風体がすっかり「綺麗」。本人も「周りから修行僧みたいでいいじゃないかと言われてますよ」と語っている。インタビュー内容も真面目そのもの、野球への真摯な態度がにじみ出ていた。そしてそこまで来た自分自身の気持ちを話した(以下、原文のまま抜粋。著者は藤木TDC氏)、

「今年は野球ができるかどうか本当に分からなかったし、80%以上はあきらめて、野球できない時は一浪して一人で練習するしかないと思ってましたから。今までのことはきれいサッパリ忘れると。15年間野球をやってきた、その実績とか数字とか全部水に流して一からスタートするという気持ちです」

最後に今後について質問されると、「シーズン終わる頃には、えげつない成績になってると思いますよ」と答えていた。


そして今日の「シリーズMVP」はお見事。全盛期と比べると酷ではあるけれど、今年のリーグ戦でのチームへの貢献度は絶大だったし、結果からすれば、まさに完全復活と言っていいだろう。

僕はかつて近鉄バファローズのファンでもあっただけに、今回の活躍は個人的に嬉しい。彼はかつて近鉄がパリーグ優勝した時(2001年)の立役者であり、同リーグ屈指の強打者として、僕自身、とても誇らしく思っていた選手だった。
それだけに球団合併の際に起きたメジャー移籍での騒動(2004年暮れ)や、翌年の日本球界への復帰、そしてわずか1年での退団騒動…ダーティーなイメージばかりで晩年を送ることだけはして欲しくなかった。

だからこそ今回の活躍は本当に素晴らしく思う。

ノリ、本当におめでとう。

もう「いてまえ打線の中村紀洋」は存在しない。
中村選手、これからはドラの強打者として新しい時代を築いていってください、応援しています。
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by wataridori21 | 2007-11-01 22:35

安藤美姫選手(フィギュアスケート選手)その3

いよいよ今日(10/27)からグランプリシリーズが開幕する。

第1戦はスケートアメリカ。女子は期待の安藤美姫選手が出場する。前にもこのブログで詳しい経歴は書いたので、ここではあえて書かない。女王としての演技が今シーズン、どこまで伸びていくのか今から楽しみだ。

Number620(2005年2月10日号)では、当時まだ17歳だった頃の安藤選手が特集されていた。
すでに3年前(2002年)のジュニアグランプリシリーズにて、女子選手では初となる4回転サルコウを成功させ、2003・04年と全日本選手権連覇を達成し、この年、日本女子選手では人気・実力No.1の呼び声が高くなってきていた。
この記事では3月にモスクワにて開催される事になっていた世界選手権への出場を前に、取材を受けたのである。
前年暮れのグランプリシリーズでの事、年末年始のエキシビションやアイスショーで多忙となり、殆ど家族と過ごせなかった事、自身のトレードマークであるジャンプの事、前年の世界選手権の覇者・荒川静香選手や当時14歳で自身の練習相手でもあった期待の若手・浅田真央選手、幼少の頃に師事した門奈裕子コーチやシニアとなってから師事していた佐藤信夫コーチの事、自身の引退時期の事、プライベートでの恋の話…

そして自分自身の内面について、こう話した(以下、原文のまま抜粋。著者は宇都宮直子氏)、

「みんな、美姫のこと、強いって言うけれど、美姫は人が思っているほど強くないんです。精神的にも弱くて、人に何か言われるとすぐに悲しくなるし、泣いてしまう」

この記事から今日まで、僅か2年半あまり。
人はここまで変われるものなのだろうか?

トリノ五輪での挫折、強烈なバッシングを乗り越え、今年(2007年)の世界選手権での優勝。キスアンドクライでの涙は印象的だった。

本当にたくましくなった、本当に…
もう気安く「ミキティ」なんて呼べなくなったね…

今年は真価を問われるシーズンとなるのは間違いない。去シーズンは「挑戦者」として各大会を乗り越えた。しかし今シーズンは違う。
彼女は今シーズン中、常に「女王」の称号がついて回る立場になった、つまり「他の全女子選手から追われる立場」に変わったのである。この重圧に耐えて、長いシーズンを乗り越えなければならない。まだ19歳の彼女が、これから沢山の苦難に正面から立ち向かっていかなければならない。

先日の日米対抗戦を観るかぎり、体調は万全ではない。
けれどもこの苦難は何としてでも乗り越えて欲しい。ここを乗り越えれば誰もが認める「真の女王」になれる。
世界中のフィギュアスケートファンの記憶に残る選手として、一時代を築いて欲しい。

僕自身、心から応援していますので、安藤選手、頑張ってください。
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by wataridori21 | 2007-10-27 02:08

トレイ・ヒルマン監督(プロ野球・北海道日本ハムファイターズ監督)

先日、プロ野球パリーグ・クライマックスシリーズを制したのは、前年の覇者・北海道日本ハムファイターズだった。

僕自身、東京時代のファイターズも見てきただけに感慨深いものを感じている。土橋正幸監督時代(1992年)や大島康徳監督時代(2000~02年)を思えば、とても同じチームとは思えない、本当に強いチームになった。

Numbar568号(2003年2月6日発行)では、当時就任したばかりのトレイ・ヒルマン監督と白井一幸ヘッドコーチの特集が掲載されていた。
この時期は2001年は6位、02年は5位と低迷し、観客数の低迷に加え、親会社のスキャンダル報道も重なり、チームの雰囲気はかなり暗い状態だった。しかしこの特集では、数年前から球団改革がある程度進み、ヒルマン監督の就任を契機に更なる改革に繋げようという意欲が球団内で盛り上がっていたという。

特集記事の中心は白井ヘッドコーチ。
白井コーチは現役時代は同チームの中心選手として活躍し1996年限りで引退したのだが、1997年から2年間アメリカにコーチ留学した経験を持つ。
ニューヨークヤンキース傘下のマイナーリーグで、コーチ修行とともに、ルーキーリーグからメジャーリーグまでの組織を細かく学び、スカウティング技術や若手育成のシステムも学び、その成果をまとめたレポートをファイターズ球団に送り続けた。そしてそのレポートを元に球団は、チームのシステム改革を長年続けてきたという。
そして帰国後に白井コーチは2軍監督となり、1年目は最下位だったが、2年目に2位とチームを躍進させている。白井コーチは、ヤンキースで学んだことで一番大きかったのは、「『勝たなければいけない』ということは分かりきっている。しかし本当に問題なのは『本当に勝とうとしているのか』ということ」なのだという。その成果が2軍チーム成績の躍進として現れたのだ。

そして2003年、ファイターズは、ヤンキース傘下のマイナーリーグで監督としての数多くの経験を積んできたトレイ・ヒルマン氏を招聘してシーズンに臨んだのである。白井コーチはアメリカ留学時代にヒルマン氏と会い、親交を深めてきた、まさに旧知の仲だった。

この記事で、白井コーチのヒルマン監督に対する印象をこう語った(以下、原文のまま抜粋)、

「実に忍耐強い人物で、問題になるような選手にもキチンと対応できる。そして、選手の能力を上手に引き出せる能力がある。メジャーの経験はないが、マイナーで2000試合近く指揮を執っている。いずれメジャーの監督になる器です」

記事を読み終えてから僕は現在のファイターズの姿を思い浮かべた。5年前と現在では、まるで別の球団を見ているようだ。

考えてみれば他球団でも短期間でチーム成績が劇的に変化したケースがある。共に1990年代に暗黒時代を過ごしてきた阪神タイガーズと千葉ロッテマリーンズ。しかし2000年代に入るとこの2球団も短期間で完全に生まれ変わった。阪神では星野仙一、千葉ロッテではボビー・バレンタインと、監督が代わり、いずれも就任から僅か2年で優勝している。
この2人の監督に共通するのは「勝利への執念」が並外れて高かった事に尽きるのではないか、と思う。白井コーチの考える『本当に勝とうとしているのか』という問いに対して、明確に「絶対に勝つ!」という意識がこの2人の監督にはにじみ出ていた。

僕自身、「青臭い精神論」は好きではないけれど、ヒルマン監督を見ていると、やはり名将と呼ばれる監督には、この「絶対に勝つ」という気持ちを持っていなければならないとつくづく感じる。
今年のファイターズは開幕前の下馬評は決して高くはなかった。しかしいざ蓋を開けてみたら圧倒的な強さを見せてリーグ優勝を決め、クライマックスシリーズでも千葉ロッテを圧倒して勝利をもぎ取った。
ヒルマン監督の「勝利への執念」が、この5年間で、選手はもちろん球団全体に蔓延していった結果が、現在の「黄金時代の到来」に繋がっていったのではないか、と思う。

「野球はメンタルのスポーツ」というけれど、まさに「自分達が、最後に必ず勝つ」という気持ちが他球団を圧倒し、その結果がこの「2年連続パリーグ制覇・日本シリーズ進出」だったのではないか、と思うのだ。

それだけに今度の日本シリーズはとても楽しみにしている。

最後に同じ記事で白井コーチが将来の球団のあり方について語っていた言葉を引用する。まさに現在のファイターズ、そして北海道の野球界の姿を暗示していた、とても印象深い言葉である(以下、原文のまま抜粋)、

「球団がやっている改革の究極の目的は、常勝チームにすること。今はみんなでそのシステムを作っているわけです。球団は野球の開拓をするつもりで北海道に行くんです。そして、これから20年くらいしたら、北海道の高校が常に甲子園で優勝を争うぐらい強くなっているかもしれない。我々はその北海道のチームから選手を迎え入れて、ますます強いチームにしていく。それが球団の理想の姿なんです」
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by wataridori21 | 2007-10-19 23:27

野村克也監督(プロ野球・楽天イーグルス監督)

今年のプロ野球パリーグにおいて、思いのほか、東北楽天ゴールデンイーグルスの成績が良い。

今日(5/12)のオリックスバファローズ戦に勝利し、通算で16勝21敗1分となった。僕自身が楽天イーグルスファンではあるけれど、この好成績が(あくまで楽天にしては、と言う意味だが)本当に実力なのか、たまたまなのか分からないけれど、ともかく嬉しいね。

最近プロ野球で僕が楽しみにしているのは、試合後の野村克也監督のコメント。あえてここでは書かないが(知りたい方は、楽天イーグルス公式サイトに毎試合掲載されているのでこちらをどうぞ)、勝っても負けても野村監督の話は面白い。

Number584号(2003年9月18日発行)では、当時社会人野球のシダックス監督を務めていた野村監督の特集があった。都市対抗野球、シダックス対トヨタ自動車の試合前の様子が書かれている。(以下、原文のまま抜粋。著者は阿部珠樹氏)

「高校野球をテレビで見るとはなしに見ていて、『話のつまらなさ』にあらためてあきれた。特に監督の話。
『選手がよくやってくれました』とか『負けたのは私のミスです』とか、一見謙虚なことをいっているようだが、ベンチでの様子は正反対だ。足を組んであごで指示をだすなどあたりまえで、中には試合開始から終りまでダグアウトの最前列に仁王立ちし、腕組みしているツワモノもいる。
日本海海戦の東郷元師か。衣の下のよろいははっきり見えているのに、『選手がよくやってくれました』もないもんだ。
『野球は言葉のスポーツ』なんて本があるくらいで、『お話』は野球を彩り、新しい側面に光を当て、目を開かせてくれるはずなのに、『よくやってくれました』『私のミスでした』で終りでは、進歩も新しい側面もあったものではない。そうした貧弱な想像力がつくづくいやになり、野村節を聞きたくなったのだ」


阿部氏の軽快な記事も素晴らしいが、これから綴られる「野村節」も素晴らしい(以下、原文のまま抜粋)、

「『都市対抗なんて見たこともない。お客さんはどれくらい入るの。盛り上がるのかねえ。やっぱりオレの力じゃどうにもならん。長嶋を引っ張りださにゃあ』
『昔、あるコーチが、月に向って打てといったが、東京ドームじゃ、セコムに向って打て、だな』
セコムの看板で微笑むミスターを横目で見ながらそんなジャブを放つ。早くもフルスロットルである。『全然見たことない』などどいいながら、
『トーナメントだから、戦略というものが立てられん。戦術はあるけど』
大会の性質を見極め、それに準備怠りないことをさりげなくちらつかせる。うなずく若い記者たちを見ながら、ニヤリと笑う姿は、『不思議の国のアリス』に出てくるいたずらものの『チェシャーキャット(笑い猫)』を思わせる」


そしてトヨタ自動車に大差で勝利した後の談話(以下、原文のまま抜粋)

「『トーナメントでは、形に出ない流れと言うものもあるでしょう。1回戦を突破すれば、何かが現れてくるはず。つぎの試合も相手をしっかりデータ化して対策を立てたいね』
談話の表面だけを見れば『野村ID野球』の勝利ということになるだろう。つぎに対戦する相手は、当然この談話を耳にする。
『ウチは何から何まで分析されているのか』
何をやっても野村監督の術中にはまっているように見えてしまう。おそらくそこまで考えて、IDの効用を強調するのだろう。

『東京ドームの一塁側にはじめて入ったが、景色が悪いね。今年のジャイアンツが弱いからかな。大入り袋ももらいました。冥土の土産に持っていきます』

再来年古希を迎えるというのに、やたらと血色のよいチェシャーキャットは、そういって報道陣を煙に巻いた」


僕自身、ヤクルトスワローズや阪神タイガースの監督をしていた頃の野村監督はあまり好きではなかった。「野村ID野球」と言う言葉に、何かインチキくささを感じ、嫌っていたのである。
しかし今、30代を迎えた僕は、彼にとても親近感を感じている。それだけ僕も年を重ねて野村監督の人間的な部分に惹かれるようになってきたのだろうか。原辰徳・岡田彰布・落合博満といった下の世代の監督達よりも大きな魅力を感じるようになった。前任の田尾安志監督が解任され、直後に就任した時には反感さえあったはずなのに、自分でも不思議な気分だ。

野村監督はすでに今年で72歳。果たして来年・再来年まで続投するのか、今年限りで勇退するのかはまだ分からないけれど、今年の彼の言動にはこれからも注目していきたい。本当に楽しみにしている。
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by wataridori21 | 2007-05-12 20:32

本田武史氏(プロフィギュアスケーター)その2

フィギュアスケートの「プリンスアイスワールドツアー」が、全国各地で公演されている。

この「プリンスアイスワールド」は今年で30年目を迎えているのだが、年々出場するプロの顔ぶれが豪華になってきている。伊藤みどり、八木沼純子、佐藤有香といった歴代のスターに続き去年からはトリノ五輪・金メダリストの荒川静香氏が活躍している(僕自身、生観戦は未経験だが)。そして何と言っても男子プロの中で一際目立つ存在なのが本田武史氏。

本田氏は1990年代中頃から2005年まで、アマチュアのフィギュアスケート界日本選手No.1の実力者。ソルトレイク五輪でのSP(ショートプログラム)の素晴らしさ(FSを経た総合順位は4位)、直後の世界選手権での銅メダルは今でも語り草になっている、まさに男子フィギュアの花形選手だったのだ。

Number515号(2001年2月8日発行)では本田氏の特集が組まれていた。この1年後にソルトレイク五輪が開催されるのだが、それに向けての彼の心構えが書かれていた。
五輪でのSPは「ドン・キホーテ」、FS(フリースケーティング)は「アランフェス協奏曲」で、この記事ではプログラムの難しさについて彼自身が語っている。ライバルのアレクセイ・ヤグディン選手、エフゲニー・プルシェンコ選手についても説明していた。
そして最後に、五輪に向けての準備と、自らのスケート演技についての気持ちが語られていく(以下、原文のまま抜粋。著者は八木沼純子氏)、

―表現力、表現することって何だと思う?
「今のスケート界は、ジャンプを飛べば勝てるっていうものじゃないから…。結局、なんだかんだ言っても、アメリカのティモシー・ゲーブルが4回転を3つ降りても勝てない、って言うのは振り付けや人にアピールする部分が少ないっていうことじゃないかな。表現とジャンプの2つが合わされば…」

―長野オリンピックが終わって3年の間に色々な曲層で、色々なプログラムでやってきたわけだけれど、自分で何か探せた!?
「大きく変わったのはスローでも滑れるようになってきたことかな。それは自分の中で大きいな、と。もうどんな曲でも滑ることが出来るようになってきた。最後は自分の良いものだけを集めたものができれば…」

―それは、やはり色々な環境で滑ってきたというものも関係していますか。
「いろんな人に教わったり、その人達のコメントがあって今があると思う」

―1年後のソルトレイクでは何を目指す?
「今シーズン、ある程度世界の仲間入りをして、オリンピックではベストな状態でベストな演技をしたい」

―スケートをやっていなかったら何をしていたかな?
「たぶんスポーツはやっていたと思うけど、でもここまでは続いていなかった。だってサッカーとかもやっていたけれど、続かなくて。そこでスポーツを1つに絞ろうかなって思った時に選んだのが、スケートだった」

―それだけ特別な存在なわけですよね。
「運命です、…たぶん」


このインタビュー時、本田氏はまだ19歳。しかし記事全体を見渡しても、受け答えは20台後半の大人にしか感じられない。フィギュアスケーターは演技者である為に、精神的に円熟味が備わっていかないと勤まらない職業だ。しかしこれがティーンエイジャーなのかと驚かされる(これは現在の高橋大輔・織田信成両選手も全く同じ)。

この記事を読み終え、現在の本田氏の姿を思い浮かべると、何か感慨深いものを感じる。彼はもうプロであり指導者でもある。

もう一度、彼の全盛期の演技が観たい。今、心からそう思う。
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by wataridori21 | 2007-05-11 20:43

皆川賢太郎選手(アルペンスキー選手)その3

去年(2006年)のトリノ五輪・スラロームで4位入賞の快挙を成し遂げたのは皆川賢太郎選手。

残念ながら2006/07シーズンは12月に右膝前十字靭帯損傷の大怪我の為に不本意な成績となってしまったが、2000年代において、男子アルペンスキー競技のエースは紛れもなく彼である。

Number514号(2001年1月25日発行)では皆川選手の特集が組まれていた(著者は松尾潤氏)。
北照高校3年の時に世界ジュニア選手権(16~19歳が対象)に出場し5位に入賞したのだが、皆川選手自身は、同大会に出場していた同世代の海外選手達に衝撃を受けたという(以下、原文のまま抜粋)、

「1位、ベンジャミン・ライヒ(オーストリア)、2位、ライナー・ショーンフェルダー(オーストリア)、4位、カレ・パランダー(フィンランド)。
彼らはアルベルト・トンバ(イタリア)ら当時のトップ選手のテクニックとは異質のテクニックを模索していた。それは、ターンの切り替え時に出来るだけスキーを振らずに、膝を返すことで切り替え時間を短縮しながら直線的にポールを狙うテクニックだった。
『同世代の選手が、ここまでスキーを考えていることがショックだった。当時の僕はオーソドックスなテクニックの完成度が高かったから5位に入れたけど、こいつらの時代が来ると直感した』」


1997年から参戦したW杯では、前述した海外選手がタイトルを独占し、皆川選手はなかなか上位に進出できなかったが、時は変わり2000年1月オーストリア・キッツビューエルで開催されたW杯で見事に6位入賞を果たす(以下、原文のまま抜粋)、

「『ゴールした時は自分の滑りを表現出来たと感じた。ワールドカップはセルフコントロールをもっと完璧にしないと通用しないシビアな世界。上に行けば行くほど細かい準備が必要になってくることが判った。こういう世界が面白いとも思った』
トップ選手が躊躇するなか、168cmのカービングスキーを選択し、テクニックを突き詰めてきた皆川の正しさが実証された。99/00シーズンは2度の6位入賞を果たし、回転の種目別ランキング30位を獲得。『21世紀最初のエース』という期待を受けるのに相応しい選手に成長した。00/01年シーズンの目標は第1シード入り。第2戦セストリエール(イタリア)では3度目の6位入賞。完走すれば確実に30位以内に入賞する自信を持っている」


当時は、国際大会でのカービングスキー全盛期に入る時期であり、この記事の後にはスキーの短小化が進んで行く時代に突入していくのだが、アルペンスキー競技ファンからすれば「もの凄く懐かしい時代」の記事と言っていいだろう。
そして何よりも、皆川選手が、ジュニア時代から世界トップレベルの選手に成長していく様を思い返すにあたり、とても興味深い記事であった。

来季はどんなシーズンとなるのか、今から待ち遠しい♪
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by wataridori21 | 2007-05-09 21:20