大正15年(1926年)2月、樺太(当時は日本の領地だった)の豊原で、第4回全日本スキー選手権が開催された。
この大会は、それまでの大日本体育協会から全日本スキー連盟の主催に変わった最初の大会である。しかし財政力の乏しい連盟の主催という事で、大会役員の大半は交通費・宿泊費が自己負担、とくに最北端の樺太での開催だけに、関係者達は多くの難儀をうけた。今では考えられない事だが、極端な「手弁当」状態だったのである。 豊原は現在のサハリン州ユジノサハリンスクで、当時の樺太の中心都市だった。冬は零下20度を超える極寒の地であり、とくに内地の選手達にとっては過酷な大会となり、凍傷などで故障者が続出したという。 この大会から各競技のルールがいくつか変わった。地域対抗から個人選手権となり、距離競技ではそれまで同時スタートだったのが30秒~1分間隔で出発する事となった。 距離では例年通り、早稲田大学が圧倒的な強さを発揮、10km(1位・矢沢武雄、3位・吉田清、5位・永田実)、25km(1位・高橋昴、6位・竹節作太。ちなみに2位に北大の岡村源太郎が入賞。この頃からは距離でも北大選手が登場してきている)、24kmリレーで優勝(矢沢武雄・吉田清・竹節作太・高橋昴、2時間3分35秒)。当時早大選手の使用したスキーの多くは、長野県飯山で製作されていた。 一方、ジャンプ競技ではやはり北海道大学が上位を独占、1位・大伴素彦(22.2m、21.7m、21.2m)、2位・緒方温光、4位小林辰雄、5位杉村鳳次郎。(3位は地元・樺太の大泊中学・高田与一) この年の12月25日、大正天皇の崩御があった。暮れでの崩御であった為、昭和元年はわずか1週間で終わり翌1927年は昭和2年となり、喪に服する意味でこの年に開催予定だった「第5回全日本スキー選手権大会」は中止。その他のスキー大会も、長野県飯山で4月に行われた第1回全日本学生スキー選手権大会(参加選手が少なかった為無効となり、翌1928年に改めて第1回大会が開催)以外は、大半が中止となった。 ちなみにこの昭和2年(1927年)11月、「スキー年鑑」が創刊。編集は当時札幌にいた広田戸七郎が担当し、第1号・第2号ともに札幌で作成されたが、札幌事務所の閉鎖にともない第3号以降は東京で作成される事となり、以後の編集は小川勝次が担当している。この冊子は当時のスキー関係者・愛好者からとても好評をもって迎えられ、発行部数が伸び、当時財政難だった全日本スキー連盟にとって貴重な収入源となった。 「スキー年鑑」はその後太平洋戦争終結までに第16号まで、戦後も発行が続き、現在「スキー年鑑2009」で第76号を数えるまでになっている。
by wataridori21
| 2009-08-08 07:06
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