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日本サッカーの歴史・終戦から東京五輪まで

終戦後の1946年、戦争の影響から中止となっていた全日本サッカー選手権大会が開催。しかし翌年から一時中断。

1947年(昭和22年)4月、日本の有力選手を集めた東西チーム同士が対戦する「東西対抗戦」が開催。これには天皇陛下が観戦する天覧試合となり、優勝チームには宮内庁から下賜された天皇杯が贈呈、以後しばらくこの大会優勝チームにこのトロフィーが与えられた。
1949年に全日本サッカー選手権大会が再開。
1950年に戦時中に脱退していたFIFA(国際サッカー連盟)に日本蹴球協会が復帰。
1951年にインド・ニューデリーで開催された第1回アジア大会に日本が出場し3位。さらに同年に開催された第31回全日本サッカー選手権大会の優勝チームに、それまで東西対抗戦の優勝トロフィーだった天皇杯が贈られることとなった。

1954年に開催されたFIFAワールドカップ・スイス大会・予選に出場(日本チームがW杯予選に参加するのは、これが初めて)したが、1勝も出来ず、1956年に開催されたメルボルンオリンピックに出場するが予選敗退、1958年に東京にて開催されたアジア大会ではグループリーグで全敗するなど、国際大会で惨敗を続ける。

1959年に開催された第1回アジアユース選手権大会で3位と健闘。
1960年に開催された第40回全日本サッカー選手権大会では実業団チームである古川電工が優勝。それまでは大学サッカー部が優勝していたが、この大会からは実業団チームが優勝を独占する時代に突入する。

その後、日本蹴球協会は東京オリンピックを前に日本チームの強化を進める。西ドイツからデットマール・クラマーを招聘し、元日本代表の長沼健を代表監督に置いた。
1964年に開催された東京オリンピックで日本はグループリーグで強豪・アルゼンチンに逆転勝ちを収め決勝進出し、ベスト8となった。

そして次は4年後、メキシコオリンピックを見据えて協会は、更なる日本チームの強化に乗り出す。
by wataridori21 | 2007-07-06 02:04


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