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東京ヴェルディ1969(旧・読売サッカークラブ)

1.読売サッカークラブ時代

東京ヴェルディ1969の前身は読売サッカークラブである。

1969年に創立され、関東社会人リーグを経て1972年にJSL(日本サッカーリーグ)2部に昇格。1974年にリーグ初優勝し、75・76年と2年連続準優勝、そして77年に2度目の優勝を決め、トヨタ自動車との入れ替え戦を制してJSL1部に昇格を果たす。

1979年にJSLカップで優勝し、1983年にJSL1部での初優勝、84年には2年連続優勝するなど通算5度の優勝(1983、1984、1986、1990、1991年)、更に天皇杯優勝3度(1984、1986、1987年)、1987年に開催されたアジアクラブ選手権(後のAFCチャンピオンズリーグ)では日本のクラブチームでは初めての優勝を飾った。

このように、1980年代に黄金時代を築いたチーム選手には、80年代前半にはラモス瑠偉・加藤久・都並敏史・与那城ジョージ、80年代後半から91年JSL閉幕までには三浦知良・武田修宏・三浦泰年・北澤豪・菊原志郎・藤川孝幸といった名選手が目白押しであった。

そして1991年にJリーグが発足すると参加を表明、チーム名も「ヴェルディ川崎」に変更した。1992年9月に開催された第1回ヤマザキナビスコカップでは見事に優勝、同大会の初代王者となった。

そして1993年、Jリーグが開幕する。

2.Jリーグ時代(ヴェルディ川崎時代・1993~1998年)

1993年は順調な滑り出しを見せたヴェルディ川崎。

JSL閉幕直前まで人気・実力ともに屈指のこのチームはJリーグ開幕後も変わらなかった。松木安太郎監督の指揮で着実に勝ち星を重ね、第1ステージこそ2位だったが第2ステージではしっかり1位を勝ち取り、シーズン総合で28勝8敗、チャンピオンシップで堂々の優勝を飾り、初代王者となった。そして1994年も31勝13敗で2年連続優勝を果たす。まさに王者であり、このまま1990年代の主役であり続けると思われた。
1993年時のフォーメーションは4-4-2。カズ(三浦和良)・武田修宏の2トップ、中盤は左サイドがビスマルク、右サイドが北澤豪、ボランチがラモス瑠偉・柱谷哲二、4バックが中村忠・ロッサム・ペレイラ・石川康、GKが菊池新吉。

1995年、鹿島アントラーズからFWアルシンドを獲得して向えたこの年、やはり王者の力が光りシーズン35勝17敗で第2ステージでは優勝したが、チャンピオンシップで敗退し2位。しかしその後、まさかこのチームが全く優勝圏内にすら入れない平均レベルに落ち込むなど、誰が予想しただろうか…

1996年、FWカズがリーグ得点王となる活躍を見せたがチームは19勝11敗で7位、1997年は前年のアトランタ五輪で活躍した横浜フリューゲルスの前園真聖を獲得して臨んだが10勝22敗と大幅に負け越してしまい15位に低迷。

1998年にはサンフレッチェ広島からFW高木琢也、更にFWエウレル・MFモアシール・DFエンリケと大量に補強を強行したが13勝21敗で12位と、思うような成果を得られなかった。

そこにチームに対して致命的な、というより決定的なダメージを与える出来事が起こった。親会社の読売新聞社とよみうりランドが経営から撤退したのである。株式はすべて読売系の日本テレビ放送網に移ったが、資金力が極端に減少した為にチームの運営方針が変わり、支出を減らす名目で主力選手を大量に戦力外としていった。
ラモス瑠偉・柱谷哲二は引退、前園真聖は海外にレンタル移籍(2001年に復帰するが翌年に解雇)、カズ・三浦泰年・エウレル・エンリケらは戦力外となり、緊縮運営体制の中、ヴェルディは「冬の時代」を迎えることとなる。


3.(東京ヴェルディ時代・1999~2006年)

1999年、ヴェルディ川崎はチーム再生を急いだ。

新監督に読売クラブOBで桐蔭学園高校サッカー部の監督を務めていた李国秀を招聘、李は総監督の立場で引き受け、桐蔭学園出身の林健太郎、米山篤志、山田卓也、小林慶行を起用する奇策に出た。これが功を奏し、第1ステージを2位を勝ち取った。総合では17勝11敗2分けで7位。
そのときのフォーメーションは4-4-2。石塚啓次・エンリケ(カルロス)、左サイドに小林慶行、右サイドに北澤豪、ボランチにジェフェルソン・林健太郎、4バックに杉山弘一・米山篤志・中澤祐二・山田卓也、GKに本並健治。

2000年、元韓国代表のキム・ヒョンソクが加入するがチームは12勝14敗4分けで10位。そして数年前から計画されていたチームの東京移転が決まり、この年を最後にヴェルディは川崎を去っていった。その際にチーム名も「東京ヴェルディ1969」に変更された。

2001年度以降も毎年のように大物選手を獲得してシーズンに臨むが低迷期を変えることには繋がらなかった。

2001年→10勝18敗2分けで14位。
2002年→13勝14敗3分けで10位。
2003年→11勝12敗7分けで8位。
2004年→11勝13敗6分けで9位。

そして遂に「そのとき」を迎えた。
2005年シーズンは6勝16敗12分けで17位。シーズン終了後にJ2陥落となった。Jリーグ発足時の参加10チームで優勝経験のあるチームでJ2陥落は初めてとの事。

2006年、同チームOBのラモス瑠偉監督が就任し、再スタートを切った。同年は21勝19敗8分けで7位。先はまだまだ長いけれど、かつて王者の名を欲しいままにしていた時期もあっただけに、早期の復帰を願いたい。
by wataridori21 | 2007-07-12 21:48


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