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モンテディオ山形(旧・NEC山形)

1.NEC山形時代

モンテディオ山形の前身はNEC山形である。

1984年、NEC山形鶴岡工場内で「NEC山形サッカー同好会」が設立。地元・鶴岡市にある地区リーグで実績を積み、1987年には「べにばな国体」(1992年開催)の強化指定チームに指定を受けた。
1989年に開幕した山形県リーグで初代王者となり、1990年の東北地域地ーグでは初出場・初優勝、さらに93年まで同リーグ4連覇を果たすなど、東北地方随一の強豪チームに成長。
1992年の「べにばな国体」が終了した翌93年2月、昇格決定戦で勝利を収めJFL(ジャパンフットボールリーグ)に参入を果たした。

1994年より石崎信弘監督が就任、同監督は4年間務め1998年にはJFL3位を記録する強豪チームに成長させた。
1996年、チーム名も「モンテディオ山形」に改称。
1998年、チーム運営会社として社団法人・山形県スポーツ振興21世紀協会が設立され、99年のJ2開幕を迎えることとなった。

2.Jリーグ時代(1999~2002年)

1999年、植木繁晴監督の下でスタートし、15勝4分け17敗で7位。
フォーメーションは4-4-2。真下佐登史・ムタイルの2トップ、トップ下にバウテル、左サイドに高橋健二、右サイドに平間智和、ボランチに吉田達磨、4バックに太田雅之・本街直樹・佐藤淳志・岩元洋成、GKに鈴木克美。
2000年は11勝2分け27敗で10位と低迷し植木監督は辞任。

2001年は柱谷幸一監督が就任し27勝6分け11敗で3位と躍進。
フォーメーションは4-4-2。大島秀夫・根本亮助の2トップ、中盤は左サイドに佐藤悠介、右サイドに高橋健二、ボランチに浮氣哲郎・永井篤志、4バックに鈴木健太郎・鷲田雅一・渡辺卓・太田雅之、GKに鈴木克美。

2002年は開幕前から主力の放出が続き戦力が低下、6勝17分け21敗で11位。

3.Jリーグ時代(2003~2006年)

2003年は15勝10分け19敗で8位となり、柱谷幸一監督は辞任。
2004年は鈴木淳監督が就任し、FW大島秀夫の活躍などもあったが19勝14分け11敗で惜しくも4位。
2005年は16勝16分け12敗で5位となり鈴木監督は辞任。
2006年は横浜F・マリノス出身でコーチ経験の長い樋口靖洋が監督に就任し、17勝14分け17敗で8位。
フォーメーションは4-4-2。レアンドロ・林晃平の2トップ、中盤は左サイドに財前宣之、右サイドに佐々木勇人、ボランチに渡辺匠・永井篤志、4バックに内山俊彦・小原章吾・レオナルド・臼井幸平、GKに清水健太。

現在モンテディオ山形は、観客動員数・スポンサー収入がJリーグ31チーム中の最下位。
運営会社が「公益法人」である事が影響しているのか、他チームに比べても経営体質改善が十分とは言いがたい印象があり、早期の運営改革が急がれているのが現状である。
しかしJ2で好成績を収め、あと1歩でJ1昇格できる所まで躍進したシーズンも幾つかあり、潜在能力のあるチームではある。それだけに巻き返しが期待されている。
by wataridori21 | 2007-08-12 14:30


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