第8回極東選手権の前後の時期、関東・関西の大学は積極的に海外遠征をおこなった。
1925年に関西大学蹴球部が上海に遠征した4年後の1928年6月、関東の大学としては初めて、明治大学による遠征が行われた。行き先は、当時大日本蹴球協会の支部が設立された朝鮮の京城と平壌(当時朝鮮半島は、1910年の「日韓併合」により日本の統治下にあった)。 現地では、大阪毎日新聞社・京城支部がこの年から朝鮮ア式蹴球選手権大会が開催され、同新聞社が明治大学に招待状を送り、同大学がこれに応じて実現したのである。この時は4試合を行い、明大の4敗1分けと惨敗となった。 同じ1928年11月には東京大学蹴球部による上海遠征も行われた。この時は同大学OB・関係者や現役学生が八方手を尽くして資金を集め、現地の上海蹴球協会の助力で実現したという。試合は2試合行われ、上海リーグ選抜戦は3-5、英国軍人選抜戦は0-5でいづれも敗退した。 さらに1933年7月には、拓殖大学が中国・大連に遠征し、大連クラブ戦は7-0、隆華クラブ戦は2-8、工華クラブ戦は5-4と2勝1敗と善戦している。 同1933年8月には関西大学がジャワへ遠征し、スラバヤ、スマラン、バンドンと周り、6試合を行い0勝1分け5敗。翌1934年4月には大連・奉天などで計4試合を戦い4勝0敗。 このように大学チームによる遠征は活発に行われ、世界レベルのサッカーを経験した選手達の中から、後のベルリンオリンピック(1936年)で活躍する日本代表チームの主力が育っていったのである。
by wataridori21
| 2007-11-05 19:48
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