ベルリン五輪のサッカー競技の出場国は16カ国。予選リーグはなく、日本は決勝リーグからの参加する事となった。ベスト16の相手は欧州の強豪スウェーデン。
1936年8月4日、ベルリン・ヘルタプラッツにて、日本対スウェーデンの試合が行われた。 本大会直前、フォーメーションを2-3-5から3-2-5に変更した。FWに松永行、右近徳太郎、川本泰三、加茂健、加茂正五。ボランチに立原元夫、金容植。3バックに堀江忠男、種田孝一、竹内悌三、GKに佐野理平。 3バックによりディフェンス面の不安がなくなったと思われたが、試合が開始されると、さすがに相手は強豪スウェーデン、FWエリク・ペルソンが前半24分・37分と立て続けにゴールを決め0-2と苦しい立ち上がり。 しかし後半に入ると反撃を開始、49分に、日本代表では五輪初得点となる川本泰三(戦前の日本サッカー界では最高のストライカーと評された伝説の名選手)のゴールで1-2。さらに62分に右近徳太郎の同点ゴールで2-2。 さらにタイムアップ直前の85分には松永行が逆転ゴールを決め3-2となり、試合はそのまま逃げ切りで勝利。 イタリア・ドイツと並び優勝候補の一角だったスウェーデンが、アジアから初出場の日本に敗退した事は現地のドイツでは大きな話題となった。 「激動の昭和スポーツ史・サッカー編」(ベースボールマガジン社発行)ではこの時の模様を写真入りで紹介している。試合終了直後に、競技場の観客席にいたドイツ人達が、グラウンドに大量になだれ込んで来た様子が写真に写されていた。ここからも試合の結果が「大事件」であったことがうかがえる。 この日本の勝利は、その後「ベルリンの奇跡」として、現在に至るまで日本サッカー史に残る伝説の一戦として語られている。 しかし「奇跡」は長くは続かなかった。 3日後の準々決勝の相手はイタリア。日本代表チームは、初戦の勢いで同国チームに臨んだが0-8の大敗、イタリアは2年前(1934年)のFIFAワールドカップで優勝した世界最強を誇るチームであり、当時同国は国内リーグをプロ化していなかった為、メンバーは若手主体といってもほぼフル代表で構成されていた。ワールドクラスの最高峰に位置するチームが相手では、日本代表が歯が立つ相手ではなかったかもしれない。 ちなみにイタリアはその後も順調に勝ち続け、この大会で優勝を飾った。さらにこの2年後のワールドカップ(1938年)でも優勝し大会2連覇を成し遂げた。やはり当時の世界最強チームであったのだ。 ともあれこの大会で日本はベスト8を成し遂げた。この記録に並ぶのは1964年、東京五輪まで28年間も待たなければならなかった。
by wataridori21
| 2007-11-08 22:32
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