日満華交歓競技大会(1939年)・第11回明治神宮国民体育大会(1940年)・東亜競技大会(1942年)

1938年以降のサッカー日本代表チームは、東アジア地域の国々の参加する大会のみに参加していた。

1939年9月、満州国の首都・新京(現在の長春)で日満華交歓競技大会が開催された。

この大会は日本・満州国・中華民国(日本軍による南京占領後に成立した、親日政権)の3カ国によるサッカーの親善大会。手元の資料にはどのような経緯でつくられた大会かは分からないが、出場3カ国の顔ぶれから見ても、あきらかに国策として行われた大会と思われる。
試合は、9月2日の中華民国戦は3-0、9月3日の満州国戦は6-0と圧勝して日本の2勝0敗で終わっている。

メンバーは同年6月に行われた全日本選手権の成績を参考に選出され、強化合宿を経てこの大会に臨んだ。メンバーは次の通り、

監督は竹腰重丸、GK岡本純一・津田幸男、FB菊池宏・大山政行・李裕瑩、HB高島良輔・閔丙大・末岡圀孝・金溶植・笠原隆、FW金成玕・植木和・川本泰三・二宮洋一・小畑実・渡辺義清・金喜守。


1940年6月には、紀元二千六百年奉祝第11回明治神宮国民体育大会が開催された。

この大会は1924年から1943年まで、計14回開催されたもので、現在の国民体育大会(国体)の前身といえる大会。本土以外に台湾・朝鮮などが参加していた。
2年ごとに開催され、1940年は開催されない予定だったが、この年は初代天皇の神武天皇が即位したとされる年を紀元として、1940年が2600年目にあたる年であったことから記念大会として開催された。

サッカー競技では満州国・中華民国・フィリピンが参加して行われ、6月7日の満州国戦は7-0、6月9日の中華民国戦は6-0、6月16日のフィリピン戦は1-0で、日本は3勝0敗の成績を残している。


1942年8月には、満州国建国十周年慶祝東亜競技大会が開催された。

参加国は日本・中華民国・満州国・蒙古(1939年に成立した親日派の蒙古連合自治政府)・朝鮮代表の5カ国。大会名といい、参加チームの顔ぶれからも、完全な国策の大会で、日本以外の各参加チームの選手名はすべて日本名(日本政府の行った「創氏改名」政策によって改名させられた)で占められていた。

試合は8月8日の中華民国戦が6-1、8月9日の満州国戦が3-1、8月10日の蒙古戦が12-0、8月16日の朝鮮戦が0-5で、日本の4勝1敗で終わっている。

日本対朝鮮の1戦は注目すべき結果となっている。日本代表チームは朝鮮から4選手を引き抜いて試合に臨んでいたにもかかわらず、結果は朝鮮のほうが大差で勝利していたからだ。これはおそらく占領下の朝鮮の代表チームが、日本に対する無言の抵抗として意地でもぎ取った勝利だったのではないだろうか。

ともあれこの3大会は、当時の日本の掲げた「大東亜共栄圏」にそった、いびつな形で開催されたものであった。そしておそらく、参加した各国代表チームの選手達には、スコアだけでは推し量れない様々な思いがあったに違いない。
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by wataridori21 | 2007-11-11 22:17


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