人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ムルデカ大会で準優勝と東京国際スポーツ大会の開催(1963年)

1963年、サッカー日本代表チームの監督が、前年までの高橋英辰から33歳の長沼健が勤める事となった。

これは来日中のデッドマールクラマーコーチの推薦でこの人事となり、このときに岡野俊一郎もコーチ就任が決まった。これから東京五輪・メキシコ五輪と、長沼・岡野コンビは日本代表の代名詞となるのである。

この年の日本代表の初試合は6月に西ドイツで行われた。スコアは次の通り、

6月05日 西ドイツ・アマチュア代表戦→0-4
6月09日 西ドイツ代表戦→0-5
6月13日 西ドイツ選抜戦→0-5
6月16日 西ドイツ選抜戦→1-5
6月23日 西ドイツ南部選抜戦→0-5
6月26日 VFR連合戦→4-2

その後オーストリア・デンマークに移動して試合を行った。

6月29日 ニーダー・エステルライヒ2部選抜戦→2-1
7月03日 ザルツブルグ戦→2-0
7月07日 ゼーランド選抜戦→3-5
7月09日 スコウショブ戦→7-3


帰国後の8月には、マラヤの首都クアラルンプールにてムルデカ大会が開催された。

ムルデカ大会での日本代表チームの成績は前年まで振るわなかったが、この年の大会は日本チームが活発に活躍した。

8月08日 マレーシア(この年にマラヤから名称変更)戦→4-3
8月10日 タイ戦→4-1
8月12日 南ベトナム戦→5-1
8月13日 韓国戦→1-1
8月15日 台湾戦→0-2
8月18日 英連邦極東軍戦→6-1

通算で4勝1分け1敗で2位と大躍進を遂げた。

10月には「東京国際スポーツ大会」が開催された。この大会は翌年に開催予定の東京五輪のプレ大会として設立されたもので、東京秩父宮ラグビー場や国立競技場で開催されたのである。

10月12日 海関・陸軍連合戦→2-1
10月14日 日本Bと対戦→1-3
10月16日 西ドイツ・アマチュア代表戦→4-2

これにより日本は通算2勝1敗の好成績を挙げた。
そして翌年、待ちに待った東京五輪が迫ってきた。
by wataridori21 | 2007-12-01 05:23


<< 竹腰重丸(元サッカー日本代表選... 西ドイツ・WFV選抜との親善試... >>