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五輪ソ連代表・イギリス選抜との対戦と南米遠征(1967年)

1967年、メキシコ五輪予選の行われるこの年の日本代表の初戦は、五輪のソ連代表チームとの3連戦だった。

今回は地元・日本で行われる事、そのまでの2年あまりの代表強化の成果が試されるシリーズだったが、スコアは次の通り、

2月19日 0-2 (東京国立競技場)
2月22日 1-3 (京都・西京極陸上競技場)
2月26日 0-0 (東京国立競技場)

3戦目、日本代表はフォーメーションを1-4-2-3とし、鎌田光夫をスイーパーに抜擢して臨んだ事が功を奏し0-0の引き分けに持ち込んだ。しかしその為に得点力不足が顕著となり、内容的には勝てる見込みも無い試合でもあった。


5月には、来日してきたイギリスのミドルセックス・ワンダラーズと3試合を行った。同チームはイングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドのアマチュアが集まって結成された選抜チームで、当時のイギリスにおける最強のアマチュア選抜だった。スコアは次の通り、

5月25日 1-3 (東京国立競技場)
5月27日 2-1 (東京・駒沢陸上競技場)
5月30日 1-2 (京都・西京極陸上競技場)

自国での開催とはいえ、イギリス選抜に1勝を挙げた事は、日本代表の力がいよいよ世界のアマチュアサッカー界でも高いレベルになってきている事を証明した画期的な出来事といっていい。


6月には、ブラジルのプロチーム・パルメイラスと3連戦を戦った。パルメイラスは当時のサッカー界では世界トップクラスの強豪で、試合前の時点で日本代表とは実力差が歴然としていたが、いざ蓋を開けると次の結果となった(この試合では元日本代表コーチのデットマール・クラマーがトレーニングコーチを務めていた)。

6月18日 0-2 (東京・駒沢陸上競技場)
6月21日 2-1 (東京・駒沢陸上競技場)
6月25日 0-2 (東京陸上競技場)

第2戦はまさに大金星であり。南米トップクラスのプロチームに競り勝った事は大変な自信に繋がったに違いない。この時の日本代表の1点目は小城得達のPKでの得点(彼は現役を通して、PKにめっぽう強い選手であった)、そして2点目は終了間際和の81分に釜本邦茂が決めている。


7月、今度は日本代表が南米遠征を行った。これはブラジルからの招待によるもので、途中ペルーに立ち寄り、そこでも試合を行っている。この遠征でのスコアは次の通り、

7月28日 ペルー選抜B戦→0-1
7月30日 ペルー選抜B戦→0-0

ブラジルへ移動して4試合を戦い、

8月06日 リネンセ戦→0-2
8月10日 パルメイラス戦→0-1
8月13日 アトレチコス・プロデンチナ戦→0-2
8月15日 フェロビアリオ戦→1-2

6試合で1勝も出来なかったが、いずれも接戦の内容であり、この遠征は、翌年のメキシコ五輪が開催されることもあり現地の環境に慣れる為には貴重な体験であった。実際に代表チームは翌年の大会前にメキシコに飛び合宿を行って、現地の高地対策を行ってから試合に臨んでいる。


ちなみに日本代表は、それまで参加していたムルデカ大会を、今回は欠場している。同時期に南米遠征が重なった為に、JFAは代表Bチームを送ることを決めたが、開催国マレーシアはあくまでA代表の参加にこだわり、やむを得ず欠場を決めた。
また、同年に開催された第4回アジアカップにはB代表が参加している。これが日本代表による初のアジアカップ出場となったが、惜しくも予選通過はならなかった。
by wataridori21 | 2007-12-09 10:07


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