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メキシコ五輪直前の海外遠征(1968年)

メキシコ五輪・本戦への出場が決まった後も、日本代表は数多くの試合を重ねていった。

1967年12月にはソ連のCSKAモスクワと、チェコスロバキアのデュクラ・プラハとの三国対抗戦が開催され2分2敗。スコアは次の通り、

12月02日 CSKA戦→2-2
12月07日 CSKA戦→0-2
12月13日 デュクラ・プラハ戦→1-1
12月17日 デュクラ・プラハ戦→0-2

開けて1968年1月17日、来日した西ドイツ・アマチュア代表と対戦して0-1で敗退。

その後も数多くの国際大会をこなした。スコアは次の通り、

3月26日 メキシコ五輪代表戦→0-4
3月30日 オーストラリア戦→2-2
3月31日 オーストラリア戦→1-3
4月04日 オーストラリア戦→3-1
4月06日 香港リーグ選抜→2-0

5月にはイングランドのアーセナルが来日、この2試合は開始前から大変な話題を集め、東京国立競技場では入場口で混乱して柵が倒れてしまい、入場券を持たないファンが数多く殺到する騒ぎに発展した。

5月23日 アーセナル戦→1-3
5月26日 アーセナル戦→0-1
5月29日 アーセナル戦→0-4

その後日本代表は海外遠征を行い、次の通りの戦績を残した。

7月18日 ロシア共和国選抜戦→0-2
7月21日 ゼニット(ソ連)戦→0-6
7月24日 チェルノモレツ(ソ連)戦→1-2
7月27日 モルドバ(ソ連)戦→2-3
8月01日 チェコスロバキア五輪代表戦→1-3
8月03日 リアス・ヤブロネッツ(チェコ)戦→1-3
8月07日 ゴー・アヘッド(オランダ)戦→2-5

そして西ドイツでは、ブンデスリーガ所属のプロチームであるボルシアMGとの対戦も行われた。同チームはこの年3位となっており、3点差での敗退は止むをえないといえる。

8月13日 ボルシアMG(西ドイツ)戦→1-4
8月15日 レクリングハウゼン選抜(西ドイツ)戦→6-0

そして日本に帰国後の9月13日、日本選抜チームを試合を行い4-3で勝利したあと、五輪開催地・メキシコに飛んだ。

そして10月14日、いよいよメキシコ五輪での第1戦を迎えた。
by wataridori21 | 2007-12-09 12:53


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