メキシコ五輪・本戦(1968年)とサッカー日本代表チームの銅メダル獲得

1968年10月、メキシコ五輪が開幕した。

予選リーグの前、日本代表チームのメンバーは次の通り、

監督は長沼健、コーチは岡野俊一郎。
GKは横山謙三、浜崎昌弘
FBは鎌田光夫、宮本征勝、鈴木良三、片山洋、富沢清司、山口芳忠
HBは八重樫茂生、宮本輝紀、小城得達、森孝慈、湯口栄蔵
FWは渡辺正、杉山隆三、松本育夫、桑原楽之、釜本邦茂

予選リーグB組での日本の組み合わせは、ナイジェリア・ブラジル・スペインで行われた。
組み合わせが決まるとコーチの岡野俊一郎は、沢山の知り合いに連絡を取り、対戦相手全ての情報を集めて、チームの特徴から選手の個性まですっかり分析して備えを万全にした。

そしてリーグ戦が始まり、結果は次の通りとなった。

10月14日 ナイジェリア戦→3-1
10月16日 ブラジル戦→1-1
10月18日 スペイン戦→0-0

第3戦のスペイン戦は0-0となっているが、これはわざと点を入れなかったという。実はこの試合前、予選A組で1位通過がフランス、2位通過がメキシコと決まっていた。日本がもしスペインに勝つとB組1位通過となり2位の地元メキシコと当たってしまう。地元の大勢の声援を受けたチームよりもフランスと対戦したいと考え、0-0で勝ち点を抑えて2位通過としたのである。

準々決勝の相手はフランス。10月20日に行われた試合では3-1で勝利、ここでも釜本は2ゴールを挙げ、彼の名声は次第に高くなっていった。

準決勝の相手はハンガリー。10月22日に行われたが、序盤こそ0-0で進んだが、30分に先制ゴールを決められると、その後は一方的な展開となり0-5で大敗となった。

これにより決勝進出は出来なかったが、まだ3位決定戦が残っていた。相手は地元メキシコで、出来れば対戦したくない相手ではあったが、いざ試合が始まると日本ペースでゲームは進み、17分・39分に釜本が続けてゴールを決め、2-0で勝利。

日本代表は、前回の東京五輪ベスト8から4年後、見事に3位となり、銅メダルを獲得した。

「FAIRPLAYの記憶」(フジテレビ製作)で、当時代表監督を務めていた長沼健氏はこう話している。

「(釜本の活躍について)彼は絶頂期だったんじゃないですか?だから彼が得点王になっちゃったり、『杉山・釜本・ゴーン』というのがパターンになって、それを相手も知ってるから防ごうとするけど、それを上回っていましたね。
それから宮本輝とか、ハーフの小城とかの連中も、敵と並んだら杉山に深いパスを出しておいたら絶対に勝つ、という自信があるから…ピンポイント、小城らは出来たから。そんなこんなで、計算が出来た。

クラマーさん仕込みの連中が4年間、体力が落ちないままキャリアを加えていった事が、強みですよね。そのかわり、後進の育成に手が届かなかったツケっていうのは、後になって出てくるんですよね」

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by wataridori21 | 2007-12-09 14:01


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