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W杯メキシコ大会・予選(1969年)

1969年10月、W杯メキシコ大会・予選リーグが始まった。

日本代表チームはアジアA組に入り、他には韓国・オーストラリア・ローデシア(後のジンバブエ)が参加し、4チームで争われた。
ローデシアは元イギリス領で、当時黒人差別で国際的に問題のあった国であり、開催する韓国は入国を拒否、結局韓国で3チームが2回戦総当りで戦い、1位チームがローデシアに入国して同国代表チームと戦い、勝者が最終予選に出場する、という事となった。

そして予選が韓国・ソウルで開催され、日本代表チームの結果は次の通り、

10月10日 オーストラリア戦→1-3
10月12日 韓国戦→2-2
10月16日 オーストラリア戦→1-1
10月18日 韓国戦→0-2

韓国代表チームは、韓国のクラブチーム・陽地の選手を主力に結成されたチームで、100日以上にも渡るヨーロッパ遠征で徹底的に鍛え上げてきた、2年前の五輪予選とは全く別の強豪となっていた。

オーストラリア代表チームは、第2次世界大戦以後、世界各国から沢山の移民を受け入れる政策を行い、移民してきた人々の中にヨーロッパでプロとして活躍していた選手たちが多く含まれていて、彼らが代表入りしていた、これまた強豪だった。

この2チームを相手に、エースストライカー釜本邦茂を欠き、メキシコ五輪代表選手を押しのけるだけの力のある若手も育っていない日本代表では歯が立つ筈も無く、終わってみれば2分2敗と1勝も出来ずに予選敗退となった。

このW杯予選終了後、長沼健は、1963年以来続けてきた日本代表監督を退任した。
by wataridori21 | 2007-12-10 18:07


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