岡野俊一郎監督の就任とムルデカ大会・アジア競技大会(1970年)

1970年3月、岡野俊一郎監督の初采配は、毎年恒例の三国対抗戦だった。

岡野監督は、代表メンバーに、ヤンマーで釜本邦茂とコンビを組んでいたネルソン吉村と、前年のJSL(日本サッカーリーグ)で得点王となった落合弘を抜擢した。
ネルソンは当時まだ日本国籍を取得していなかったが、ミュンヘン五輪・予選前に取得するのを見越して抜擢したのである。その為、彼はこの年に行われたアジア競技大会には参加できなかった。

三国対抗戦の相手はスウェーデンのIFKイエテボリと、ブラジルのフラメンゴ。今回は日本代表を2つに分け、計4チームによる1回戦総当りでのリーグ戦をおこなった。代表Aのスコアは次の通り、

3月08日 IFKイエテボリ戦→1-1
3月15日 日本代表B戦→4-1
3月21日 フラメンゴ戦→1-1

5月末にはイングランドのプロチーム・サウサンプトンが来日して来て4試合を行い、7月にはデンマークのボルトクルベン1903と対戦。どちらも伝統のあるチームが相手だったが、結果は次の通り、

5月28日 サウサンプトン戦→1-3
6月02日 サウサンプトン戦→3-3
6月04日 サウサンプトン戦→1-2
6月07日 サウサンプトン戦→0-2

7月08日 ボルトクルベン1903戦→3-4
7月12日 ボルトクルベン1903戦→1-0

同じ7月に、マレーシアのクアラルンプールで開催された第14回ムルテガ大会に参加。6チームと戦い、結果は次の通りだった。なお、体調不良の釜本邦茂は欠場している。

7月31日 香港戦→1-2
8月02日 韓国戦→1-1
8月04日 タイ戦→0-0
8月08日 インドネシア戦→4-3
8月10日 シンガポール戦→4-0
8月16日 台湾戦→3-2

大会の優勝は韓国、日本は7位で終わった。この時期からはアジアのサッカーの国際大会で韓国が優勝するケースが目立つようになり、それがその後のプロ化に繋がっていくのである。

そしてこの年の日本サッカーで最も話題を集めたのが8月末に来日したポルトガルのベンフィカとの試合だった。当時のベンフィカには1966年の得点王・エウゼビオが所属していたからである。エウゼビオは「モザンピークの黒豹」と恐れられた名FWだった。この3連戦で彼は3試合で6ゴールと大暴れし、格の違いを見せ付けて帰国していった。スコアは次の通り、

8月25日 ベンフィカ戦→0-3
8月29日 ベンフィカ戦→1-4
9月01日 ベンフィカ戦→1-6

11月にはスウェーデンのDIFユールゴルデンが来日して4試合を行った。同チームは1953年にも来日している。

11月15日 DIFユールゴルデン戦→1-6
11月19日 DIFユールゴルデン戦→1-2
11月21日 DIFユールゴルデン戦→0-3
11月23日 DIFユールゴルデン戦→1-0

この年の最後は第6回アジア競技大会、タイのバンコクで開催された。

12月10日 マレーシア戦→1-0
12月12日 クメール戦→1-0
12月14日 ビルマ戦→2-1
12月16日 インドネシア戦→2-1
12月17日 インド戦→1-0
12月18日 韓国戦→1-2(準決勝)
12月19日 インド戦→0-1(3位決定戦)

この大会では決勝戦が引き分けとなった為、決勝進出した韓国とビルマが優勝し、日本は3位決定戦を経て、4位となった。
[PR]
by wataridori21 | 2007-12-10 23:40


<< ミュンヘン五輪・予選大会での敗... W杯メキシコ大会・予選(1969年) >>