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第1回ジャパンカップと第22回ムルデカ大会と第8回アジア競技大会(1978年)

1978年は、日本を代表するストライカーであったベテラン釜本邦茂・若手ホープ奥寺康彦の2人を前年に同時に失う事となった為、この年の初試合から惨敗の連続となった。

3月にソ連のアムール・ブラゴベシチェンスクが来日してきた。同チームはソ連・極東地方のブラゴベシチェンスク市にある3部リーグのチームで、本来なら楽に勝てる試合であったが、蓋をあければ1分2敗と惨敗。FWにDFの選手を当てるなど、戦力の低下を露呈した結果となってしまった。

3月19日 アムール・ブラゴベシチェンスク戦→0-0
3月21日 アムール・ブラゴベシチェンスク戦→0-1
3月26日 アムール・ブラゴベシチェンスク戦→1-2

5月には日本で第1回ジャパンカップ(後のキリンカップ)が開催された。

ジャパンカップとは、サッカー日本代表チームを強化する事を目的に、海外のA代表や世界の強豪クラブチームを招待して日本代表や日本選抜チームなどと親善試合を行う趣旨で設立された大会である。
この大会は後にキリンカップと名称が変更され、途中に中止となったりしながら、2007年現在で通算27回大会を迎え、その参加チームのレベルも大きく変わっている。

この第1回大会では1FCケルン(西ドイツ)、ボルシア・メルヘングラッドバッハ(西ドイツ)、コベントリーシティー(イングランド)、パルメイラス(ブラジル)、韓国代表、タイ代表、そして日本代表と日本選抜の計8チームが参加。2ブロックに分け1回戦総当りのリーグ戦を行い、それぞれ上位2チームが決勝トーナメントに進出する方式で行われた。

日本は予選リーグで1勝1分1敗で予選敗退となってしまい、準決勝に進むことは出来なかった。決勝戦ではボルシアとコベントリーが対戦し、引き分けで両者優勝で幕を閉じた。

5月21日 コベントリー・シティー戦→0-1
5月23日 タイ代表戦→3-0
5月25日 1FCケルン戦→1-1

7月にはマレーシアで第22回ムルデカ大会が行われた。日本代表は前年は参加していなかったが、第20回大会では準優勝だっただけに期待されたが、奥寺・釜本の2人のいないチームでは劣勢は避けられず、2勝1分4敗の4位となった。

7月13日 イラク戦→0-0
7月15日 インドネシア戦→1-2
7月17日 シリア戦→3-2
7月19日 韓国戦→0-4
7月21日 マレーシア戦→1-4
7月23日 シンガポール戦→1-2
7月26日 タイ戦→4-0

8月には恒例のヨーロッパ遠征を行ったが成績は芳しくなかった。

8月10日 SPVGG1903(西ドイツ)戦→4-2
8月14日 コベントリー・シティー(イングランド)戦→0-2
8月18日 ビンタースラッグ(ベルギー)戦→2-5
8月20日 ヘント(ベルギー)戦→2-3
8月22日 アントワープ(2-2)戦→2-2

帰国後には中国代表、ソ連代表と試合を行ったが、ソ連代表との3連戦でははっきりと格の違いを見せ付けられる結果となった。

9月27日 中国戦→4-0
10月03日 中国戦→3-1

11月09日 ソ連戦→1-4
11月23日 ソ連戦→1-4
11月26日 ソ連戦→0-3

そして12月、タイのバンコクで第8回アジア競技大会が行われた。しかし1次リーグで1勝2敗となり、前回大会同様に決勝トーナメントすら進出できなかった。特に韓国とのレベルの差はこの10年で、大きく拡大してしまった。

12月11日 クウェート戦→0-2
12月13日 バーレーン戦→4-0
12月15日 韓国戦→1-3

尚、この大会が二宮寛監督の代表チームでの最後の采配となった。
by wataridori21 | 2007-12-24 10:57


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