下村幸男(元日本代表監督・選手、東洋工業監督)

1979年3月から1980年3月までサッカー日本代表監督を務めたのは下村幸男。

彼は広島県広島市出身で、広島修道中学校(後の広島修道高等学校)から1952年に東洋工業(後のマツダ)の東洋工業蹴球部に入部。

1954年の全日本選手権(後の天皇杯・全国サッカー選手権大会)で、実業団として初めて決勝進出を果たすが、決勝で慶大BRBに惜しくも敗退。しかし当時のサッカー界は大学チームの全盛時代だっただけに、大変な快挙だった。

1955年、日本代表チームに選出され、メルボルン五輪に出場。同じ年の全日本実業団選手権で準優勝。当時の実業団サッカー界では田辺製薬サッカー部が大変に強く、この時も優勝し6連覇を達成していた。
1956年、全日本実業団選手権の決勝で再び田辺製薬と対戦し、この時は勝利して同チームの初優勝。

1961年、現役を引退。
1962年、東洋工業のコーチに就任し、同年の国体・実業団選手権で2冠を達成。
1964年、東洋工業の監督に就任。
1965年、この年に開幕したJSL(日本サッカーリーグ)では、小沢通宏・石井義信・小城得達・桑原楽之・松本育夫・今西和男・船本幸路らを擁して初代王者に輝く。
1968年、JSL4連覇を達成し、同リーグでの黄金時代を築く。
1971年、東洋工業サッカー部監督を退任。
1972年、創部5年目の藤和不動産サッカー部(後の75年にフジタ工業サッカー部に改称)の監督に就任。
1974年、藤和不動産サッカー部監督を退任。

1979年、二宮寛監督の後を受けて日本代表監督に就任(同時に渡辺正がコーチに就任)。
1980年、日本代表監督を辞任。木村和司・川勝良一ら若手を起用するなどの采配を見せたが、さすがに名将といっても、僅か1年で結果を出す事は難しかった。

1992年、東洋工業から代わったサンフレッチェ広島のスカウトスーパーバイザーに就任。
1994年、サンフレッチェ広島のスーパーバイザーを退任。
2000年、母校の広島・修道中学のコーチに就任。

実業団チームの監督の実績は十分だっただけに、戦力がある程度整った状態になってからの日本代表チームで、采配を出来なかったのが残念である。

監督としての、国際Aマッチでの成績は、14試合で8勝4分2敗
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by wataridori21 | 2007-12-24 19:32


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