横山謙三監督の就任とキリンカップの休止(1988年)

1988年、横山謙三新監督の初陣は1月の中東遠征だった。

横山監督は遠征に先立ち、日本代表のフォーメーションを3-5-2に変えた。それまで日本代表では採用されなかった中盤に5人を置くという、当時ではまだ新しいシステムであり、このときにウィングバックに平川弘・福田正博が採用された。
更にDFに井原正巳、ボランチに柱谷哲二が代表入り。この2人はその後、長きに渡って日本代表の主力となり、特に井原は国際Aマッチ通算123試合出場の金字塔を打ちたてる事になる。

1月27日 アラブ首長国連邦戦→1-1
1月30日 アラブ首長国連邦戦→0-2
2月02日 オマーン戦→1-1

5月には第11回キリンカップが開催された。しかし前年の五輪・最終予選の雪辱が掛かっていた中国戦でも0-3と大敗したりと、新システムはなかなか機能しない。
ちなみにキリンカップはこの年を最後に、数年間開催が中止された。同大会での日本代表の成績は振るわず、ここ数年間観客の伸びが悪くなり、興行的に見合わなくなって来た事も一因と思われる。その後、1991年に再び開催された。

5月29日 フラメンゴ(ブラジル)戦→1-3
6月02日 中国戦→0-3
6月05日 バイヤー・レバークーゼン(西ドイツ)戦→0-1

6月下旬、ヨーロッパ遠征が行われた。初戦相手の西ドイツのアッシュハイム戦で10-0の大勝を収めたが、全体的に低調な成績で終わっている。

6月23日 アッシュハイム(西ドイツ)戦→10-0
6月26日 MSVミュンヘン(西ドイツ)戦→2-2
6月30日 ランドシュット(オランダ)戦→3-1
7月02日 SVザルツブルグ(オーストリア)戦→4-4
7月04日 ランスバーク(西ドイツ)戦→1-3
7月06日 FCバッカー(西ドイツ)戦→6-1
7月09日 トルコ五輪代表戦→0-3
7月12日 SSVロイトリンゲン(西ドイツ)戦→2-1
7月14日 FCホンブルク(西ドイツ)戦→0-2
7月16日 ヴァルトホフ・マンハイム(西ドイツ)戦→0-4
7月17日 SVサルムロール(西ドイツ)戦→1-1
7月18日 ダルムシュタット(西ドイツ)戦→0-5

帰国後の8月にイタリアから来日のナポリと対戦、9月にはソウル五輪出場を前に「調整目的」で来日してきたアルゼンチン代表・ソ連代表と対戦。

五輪のサッカー競技では、ソウル五輪からプロ選手の参加が解禁される事となった(ただしW杯の出場経験が無いことが条件)。その為、この時に来日してきたソ連・アルゼンチン代表にはプロ選手も多く参加してきている。

9月08日 アルゼンチン代表戦→0-1
9月13日 ソ連代表戦→2-2

10月には恒例の日韓定期戦が、日本で開催されたが敗退。

10月26日 韓国戦→0-1
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by wataridori21 | 2007-12-31 09:27


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