第12回キリンカップでの優勝と横山謙三監督の辞任(1991年)

1991年6月、1988年以来休止していたキリンカップを再開した。

ジャパンカップ時代から数えて通算12回目となったこの大会、遂に日本代表は初優勝を飾る事となった。
この大会の3試合で、三浦知良が3得点、北澤豪が2得点、中盤のラモス瑠偉・福田正博・堀池功、DF井原正巳・柱谷哲二、GK松永成立といった面々が活躍し、3戦目のトッテナム・ホットスパー(イングランド)戦では4-0と圧倒しての勝利を収めた。

6月02日 タイ戦→1-0
6月05日 バスコ・ダ・ガマ(ブラジル)戦→2-1
6月09日 トッテナム・ホットスパー(イングランド)戦→4-0

7月、来日してきたユーゴスラビアのパルチザン・ベオグラード(監督はイビチャ・オシム)と対戦して1分1敗。

7月18日 パルチザン・ベオグラード(ユーゴスラビア)戦→1-1
7月20日 パルチザン・ベオグラード(ユーゴスラビア)戦→0-1

そして、長崎・諫早にて日韓定期戦が開催されたが、フル代表で来日してきた韓国に敗退。

7月27日 韓国戦→0-1

同じ年、バルセロナ五輪・予選が行われた。山口芳忠監督の指揮で1次予選を通過したが、A代表の横山謙三監督がW杯本戦出場を狙えるチーム作りと並行したい意向から、このU-23日本代表の総監督を兼務する事とした。
しかし最終予選では惨敗を続け、6チーム中の5位となり、横山監督はU-23総監督とA代表チームの監督を辞任した。
この辞任は、当時技術委員長と務めていた川淵三郎の意向が強く働いた。川淵は実質プロ選手が集まっている日本代表に、アマチュア出身の横山謙三監督では務まらないと判断したかららしい。

そして1992年、オランダ出身のハンス・オフトが日本代表監督に就任する事になるのである。
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by wataridori21 | 2007-12-31 13:01


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