第2回ダイナスティカップと第10回アジアカップでの優勝(1992年)

ハンス・オフト監督は、この年に行われる第2回ダイナスティーカップと第10回アジアカップを前に、代表チーム強化練習を続けた。

その中で飛び出した「アイコンタクト」「スモールフィールド」「コーチング」などは彼の指導の代名詞となった。現在の日本代表チームでは当たり前に行われているこれらの用語、特に「アイコンタクト」についてオフト氏はFAIR PLAYの記憶」(フジテレビ製作)でこう語っている。

「あれはチェックポイントのようなものです。『アイコンタクト」を取る事で、仲間はこちらが次のプレーの準備が出来ていると分かります、それでパスが出る。
でもこちらが下を向いていれば、相手はこちらが準備が出来ているか分からないので、動き出しが出来ません。

試合の流れは相手を見てパスを出し、見て動く事の連続で生まれます。
出来るだけ素早くこれらの事が出来れば、それだけ良い試合ができます」


8月、中国・北京にて第2回ダイナスティカップが行われた。この大会で日本代表チームは、リーグ戦を2勝1分0敗、勝ち点1位で決勝進出。決勝戦では長年の天敵・韓国に勝利して優勝した。
この優勝は、戦前の1930年に開催された第9回極東選手権での優勝以来、実に62年ぶりとなる国際大会での優勝だった。

8月22日 韓国戦→0-0
8月24日 中国戦→2-0
8月26日 北朝鮮戦→4-1
8月29日 韓国戦→2-2、PK4-2(決勝戦)

「FAIR PLAYの記憶」でオフト氏は、大会を振り返ってこう語る。

「あの大会に参加した北朝鮮・韓国・中国の3チームは、自分達の実力を知るには絶好の対戦相手でした。今自分達がどの辺りにいて、何が出来るのか、あの大会でよく分かりました。

以前は海外に出ると、選手達はどこかビクビクして小さくなっていた所があったのですが、ダイナスティカップに優勝して『さあ、やろう。我々がプレーして、自分達が主導権を握るんだ』という態度に変わっていました。自信に溢れた態度に変わったのです」


10月には日本・広島で第10回アジアカップが開催された。過去9回の大会で、日本代表が本戦に出場できたのは、1988年に学生選抜のみであったが、今回は地元開催だった為、予選抜きで2度目の本戦出場となったのである。
この大会直前に、Jリーグ初の公式戦だった「第1回ヤマザキナビスコカップ」が行われ、日本中のサッカーファンがこのアジアカップに注目していた。JSL時代には考えられないほどの注目度だった。

この大会で日本代表は、何と優勝してしまったのである。韓国はもちろん、出場国のイラン・UAE・サウジアラビアなどは、当時は日本より格上のチームだったのだが、この半年で日本代表は大幅に力をつけていたのである。
そしてこの優勝は、当時の日本国民全体に「日本代表は少なくともアジアではトップクラスの強いチームである」という印象を植え付け、そのまま翌年のJリーグ開幕の際の、異常なまでの人気沸騰ぶりに直結していくのである。

10月30日 アラブ首長国連邦(UAE)戦→0-0
11月01日 北朝鮮戦→1-1
11月03日 イラン戦→1-0
11月06日 中国戦→3-2
11月08日 サウジアラビア戦→1-0

「FAIR PLAYの記憶」でオフト氏は、この優勝について、こう語っている。

「アジアカップの優勝で、自分達は何が出来るのかをようやく確認できました。

そしてあの時点で、自分達がどこに位置するのか、特に東アジアの国々だけでなく、イランやサウジアラビアといった西アジアのチームと対戦したことは大きな収穫でした」

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by wataridori21 | 2008-01-01 12:18


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