岡田武史(日本代表監督、元コンサドーレ札幌・横浜F・マリノス監督)

1997年途中から1998年途中まで日本代表監督を務めたのは岡田武史。

彼は大阪府大阪市出身で、天王寺高校サッカー部で活躍し、1974年のAFCユース選手権に18歳ながら選抜されるなど、早くから将来を嘱望されていた。

その後早稲田大学に進学したが、同大学内のサッカー同好会に所属し第一線から遠ざかっていた。その時にたまたまサッカーの早慶戦に観戦に行ったところ日本サッカー協会の関係者に出会い、「ユース選手権に選抜したのは将来への投資だった」と叱責され、あわてて早稲田大学ア式蹴球部に入部。

1980年、JSL(日本サッカーリーグ)の古川電工サッカー部に入部。
1982年、アジア競技大会に出場し、準々決勝進出に貢献。
1986年、古川電工のアジアクラブ選手権での優勝に貢献。

1990年、現役を引退し、古川電工のコーチに就任。
1992年、ドイツにコーチ留学。
1993年、Jリーグ発足に伴い、名称変更されたジェフユナイテッド市原のコーチに就任。

1995年、日本代表監督に加茂周が就任した際、ジェフ市原の清雲栄純監督の推薦で代表コーチに就任。
1997年、W杯・最終予選で成績不振の日本代表チームに関して日本サッカー協会が、起死回生策として加茂監督の更迭を決め、後任として日本代表監督に就任。その時は「次のウズベキスタン戦で勝ったら別の監督に」と条件を出した。しかし引き分けに終わり、結局そのまま留任する事となり、最終戦のイラン戦で劇的な勝利を収め(ジョホールバルの歓喜)、W杯・本戦への出場を決めた。
当然、本戦までの留任が決まり、W杯での日本人としての本戦への出場第1号監督となった。

1998年、W杯・本戦グループリーグで3戦全敗となり、代表監督を退任。

1999年、当時J2にいたコンサドーレ札幌の監督に就任。
2000年、J2で優勝し、J1昇格を決める。
2001年、J1で11位で残留となり、コンサドーレ札幌の監督を退任。

2003年、横浜F・マリノス監督に就任し1年目から第1・第2ステージで優勝し「完全優勝」を飾る。
2004年、2年連続で第1ステージ優勝を決め、サントリーチャンピオンシップで浦和レッズに勝利して2年連続J1での年間優勝を飾る。
2006年、成績不振でシーズン途中に横浜F・マリノスの監督を辞任。

2007年、当時日本代表監督だったイビチャ・オシム監督が急性脳梗塞で緊急入院し、後任として日本代表監督に返り咲く事となった。

かつて日本代表監督としてW杯・本戦の舞台に立った事で有名だったが、去年再び「リリーフ」的に再登板となった。「有事」の際には、これほど頼りになる人物も珍しい。
オシム監督の後であるだけに大変に困難だろうけれど、個人的に今年からのW杯・予選には期待しているので、本当に頑張って欲しい。
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by wataridori21 | 2008-01-02 09:59


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