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2007年 11月 28日 ( 1 )

第3回アジア競技大会と東南アジア遠征(1958年)

1958年5月8日、東京にて、第3回アジア競技大会が開催された。

アジア大会が初めて日本で開催される事から、それまで規模の大きなサッカー大会が開催されていた明治神宮外苑競技場は解体され、新たに国立霞ヶ丘陸上競技場が建設された。

明治神宮外苑競技場は、もともと宗教法人・明治神宮が所有していたが、アジア大会用の競技場にする為には規模が小さかった。その為、1956年に国の所有に移し、国立競技場として新たに建設したのである。
更にこの年には、同じ東京の小石川にあった旧砲兵工場跡地に東京都立小石川サッカー場が建設された。

この大会でサッカー日本代表チームは2試合を戦った。まず5月26日のフィリピン戦は小石川サッカー場で戦い0-1、続く28日には東京霞ヶ丘陸上競技場で香港と戦い、0-2と連敗。特に当時アジアで最弱といわれたフィリピンに零敗だった事は、当時の日本代表のレベルをよく表している。ちなみに大会は、台湾が2大会連続優勝を飾っている。当時の台湾はプロ選手を多数選抜して結成した強豪であった。


同じ1958年、マラヤ連邦(後のマレーシア)の首都クアラルンプールにて、AFC総会が開催された。

この総会で5代目会長に選出されたのが、マラヤ連邦のトゥンク・アブドゥル・ラーマン首相。その時に日本蹴球協会の野津謙も、複数のAFC副会長の1人に選出された。

マラヤ連邦は、かつて中世の頃はポルトガル、その後イギリス領となり、太平洋戦争開戦の際には日本の植民地となった歴史があり。終戦後に再びイギリス領となったが、1957年にマラヤ連邦として独立を果たし、1963年にはシンガポール・北ボルネオ・サラワクを統合してマレーシアが成立した(その後1965年にシンガポールのみが離脱し独立)。

その独立したマラヤ連邦の指導者がトゥンク・アブドゥル・ラーマン首相であり、この1958年は、独立からちょうど1年後だった為、独立一周年祝賀蹴球祭(ムルデカ・フェスティバル)が開催された。その時に行われたAFC常任理事会にて、ラーマン首相の提唱で、翌年からアジア・ユース・トーナメントの開催が決められた。このトーナメントはアジアのサッカーレベルの向上を目的につくられたものである。


この年の12月、日本代表チームは香港・マラヤ連邦に長期遠征を行った。これはマラヤ連邦のラーマン首相の招きで実現したもので、マラヤだけでなく途中で香港とも試合を行っている。

12月25日の香港戦が初めで2-3で敗退、続いて27日に南マラヤ選抜戦で0-2、28日のマラヤ戦で2-6、31日のぺラク州戦で3-0、年が明けて1959年1月3日のペナン州戦は2-2、4日のマラヤ戦が3-1、7日のマラヤンマラヤ戦が1-2、8日のスランゴール戦が2-2、10日のシンガポール第1戦目が4-3、11日のシンガポール第2戦が2-3、そして14日に香港選抜戦で1-1の成績を残して全日程を終了となり、日本に帰国した。
by wataridori21 | 2007-11-28 23:47